2024年7月27日 / 最終更新日時 : 2024年8月2日 高野 日々と書 いも竹 竹の音 竹と木が違うように、林に響く音も森林のそれとは違っている。山では伐りたおした木の枝払いまでチェンソーで片付けてしまうが、竹林ではいまだに枝払いには斧が重宝で、たけのこ名産地である内川はじつは竹材の名産地でもあっ […]
2024年7月4日 / 最終更新日時 : 2024年8月19日 高野 日々と書 積み石 気づけば終わっていたという具合でことしもたけのこの季節が過ぎていて、竹林を振りかえると、まだ柔らかな初夏の雑草が敷いた緑の絨毯のそこかしこに点々と穴が空いて土色をのぞかせている。ずいぶんと掘ったものだ。しかし傷口のよう […]
2024年3月5日 / 最終更新日時 : 2024年8月7日 高野 小さな林業 斧の音 「煙草」 森のなかにいるとときどき斧の音というものを思い出すことがある。斧が木をうつ響きは耳にしたことがなくて、だから、思い出すのは斧の音の姿である。 さいたまにいたころは、昔の広葉樹林がそのままにしてあってそれがい […]
2023年10月21日 / 最終更新日時 : 2023年10月21日 高野 日々と書 追いかける 殺すことの倫理 うさぎは灰色がかった白いからだをしていた。遠目にもそれとわかるうさぎ特有のあのシルエットで山道の脇にしゃがんだまま、車のライトに照らされてもたたずんでいたが、エンジンのうなり声が近くまでくるとようやく坂 […]
2023年9月18日 / 最終更新日時 : 2023年9月18日 高野 日々と書 貧しさの二相 呑みの場で、「びんぼうしょう」という言葉が響いてきて、わたしはそれで貧乏症と頭に浮かんだ。それは、各々がどのように働いているかという話のなかで、ある自営の人が休みをとっているのかと問われ、「だいたい少しでも時間があれば […]
2023年6月15日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 高野 日々と書 陶芸のよろこびと伝わらないさみしさ 謙遜と否定 先日、知人との雑談で、話が陶芸に及んだ。「おれこないだろくろで器つくってみたよ、陶芸家の友人に教えてもらって。素人でもあんがい、悪くないもんがつくれたよ、」と、つくった茶碗の写真を見せた。知人に「本当だ、う […]
2023年6月7日 / 最終更新日時 : 2024年4月3日 高野 日々と書 食える話、食えぬ話と「花食い姥」 食える話と「花食い姥」 春先、近所のばあちゃんから菜の花と、何か滑らかな葉のものを、あんたこんなん食べんやろ、ともらった。花さく前のカタクリだった。湯がいて酢で食べたら美味しいといわれた。美味しかった。 集落のお墓 […]
2023年5月25日 / 最終更新日時 : 2023年8月2日 高野 小さな林業 加賀の森林の感想、ならびに木の葉と鳥の糞尿のこと 風の前の木の葉に似たる人 マルクス・アウレーリウスは『自省録』の第10巻34で『イーリアス』を引用しながら、世のはかなさについて自分自身に説いている。 「まことの信念に身を咬まれている者にとっては、ごく短い、陳腐な言葉 […]
2023年1月26日 / 最終更新日時 : 2023年2月2日 高野 日々と書 冬の足跡 帰路 竹加工の手伝いが午前で終わり、別所の作業小屋を出ると景色は白かった。早朝からまただいぶ降ったらしかった。山上へのぼっていく帰路にはわだち跡はない。山を下っていく対向車線がきざんだ二本線を横目に眺めながら、新しいわ […]
2022年11月17日 / 最終更新日時 : 2023年8月2日 高野 小さな林業 塗ることと塗らないこと 塗ること 多和田葉子は『溶ける街 透ける路』の「ベルリンⅠ」で、ある一つの思い出について記している。 新しい家に引っ越すとドイツ人はさっそく壁にペンキを塗り始める。もし壁が傷んでいれば壁紙を貼るところから始める。ごく […]