覚書(3)活動について

1. 公民館

 金沢市の協力隊の活動範囲は、対象の小学校区の範囲であり、地区の公民館の範囲と同じだった。わたしでいえば、内川小中学校の校区範囲=内川公民館に含まれている町会全域が内川地区の地域おこし協力隊の活動範囲だった。それで、わたしの活動拠点として、地域の中心となっている公民館事務所内にデスクを用意していただいた。
 任期のはじめのころは、公民館は地域の中心だから、地域住民の主だった方々がよく来るから、いろんな方と知り合うために、基本的に毎日通うようにとのことだったが、わたしは机に座っているよりも地域の農業や林業や、そのほかの生業を手伝うことを好んで、外に出ることが多くなり、公民館の席に座る日が減った。地域の方々と公民館でより外で関わっていたということだ。それで、少なくとも週に1日は公民館にいるように、ということになったが、次第にそれよりも頻度は低くなって、何か用があるときに限られるようになった。
 ほとんど放し飼いの犬か、野良猫みたいな状態だったわたしが公民館に顔を出すと、それでも事務所の皆さんは暖かく迎えてくれて、資料やら何やらを積んでほとんど物置がわりに使っていた協力隊の机を、申し訳なさそうに急いで片してくれたのだった。わたしはそれを見るといつもかえって申し訳なく思うのだった。

 わたしが公民館に行くときは、主に、協力隊に関わる事務作業をこなしてくれていた公民館主事さんと経費の相談をするとき、資料印刷などの事務作業のこなすためだった。
 しかし、それよりも大いに助けられたのは、困りごとや悩みごとがあったときで、公民館に行けばわたしの悩みの大体は解決した。
 例えば、よくわからない山菜を取ったりもらったりしたときには必ず公民館に行って、食べ方を聞いたし、また、冬の寒さをしのぐための工夫を教えてもらった。公民館の方に指摘されるまで、わたしたちが寝起きする部屋と外とを遮っている薄いガラス窓にはカーテンがなかった。布一枚あるかなしかで、冬の部屋がどれほど暖かくなるものか、知らなかったのだ。

2. 二つの1週間

 わたしがどのように働いていたか、1年目と3年目の同じ時期の1週間を書き抜いて、比べてみよう。

1年目

  • 6月22日(月):竹ぼうきづくりの手伝い / 燻製機作成の準備
     内川地区にある竹加工所で竹ぼうきの制作を手伝った。また、このころイノシシ肉を燻製にしたら食べやすくなるのではないかと考えていて、そのための燻製機の製作に取り組んでいたらしい。
  • 6月23日(火):竹ぼうきづくりの手伝い / 燻製機の作成
     借家の納屋の雨除けの下に置いてあったドラム缶をもらって、燻製機を作った。
  • 6月24日(水):竹ぼうきづくりの手伝い / 花いっぱい運動の準備
     花いっぱい運動は公民館の前後の道路の歩道にある花壇に花を植えるイベントで、そのために公民館が行う準備を手伝ったのだろう。
  • 6月25日(木):燻製機の作成 / 内川小中学校の運営協議会に参加
     作った燻製機は3年経った今でも現役である。運営協議会は、「学校運営に地域の声を積極的に生かし、地域と一体となって特色ある学校づくりを進めていく制度」であるコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の会議で、一度見学で参加させてもらった。
  • 6月26日(金):刈り払い機の安全講習
     春に林業を手伝ったときに、刈り払い機とチェンソーの講習を受講していないために使用できなくて、歯痒い思いをしたため、安全講習を受講した。この日は払い機の講習だった。
  • 6月27日(土):湯涌地区の協力隊OBを訪問
     金沢市での協力隊第1号だった方を訪ね、話を聞いた。環境や、地域の受け入れ団体の考えや、協力隊本人などが全然内川とは違っていた。無理せず今の自分にできることだけをすればいいのかな、と思えた。
  • 6月28日(日):NPO団体の草刈りイベントに参加 / 燻製の試み
     このときはまだイノシシ肉を食べるようになっていなかったから、豚肉を燻製にしてみた。美味しくできた。

3年目

  • 6月26日(日):薬草、ハーブについて調査
     これの数日前、林業大学校の研修で北陸大学の薬草園を訪ねていた。その際に学んだ有用植物について調べたり、精油の製造について調査した。もともとハーブ類に関心があって、いくつか育てていて、薬草園を訪ねて、何かアイデアが浮かんだのだろう。
  • 6月27日(月):東原町訪問、ケヤキをもらう
     伐採したケヤキを薪にするというので、材として使ってみたいと思い、少し分けてもらうため東原町を訪ねた。苦労してチェンソーで縦挽きにして大雑把な板がとれた。
  • 6月28日(火):サルの止め刺し / 新保町の川を調査
     地区内でサルを捕獲したため、刺殺した。川を調査というのは、少し前に年嵩の友人に、遠くまでイワナ釣りに連れて行ってもらって、うまかったもんだから、内川にはいないのかと、川の水温を調べに行ったのだ。クマが出たらどうしようという不安におそわれて、周囲の葉ずれの音にすらびびり散らかして、水温がどうとかそれどころじゃなかった。
  • 6月29日(水):サル檻の管理 / PR動画について打ち合わせ
     「朝、市から住吉の山側でサル捕獲の連絡をもらい、かけつけると、逃されていた。以前も檻の扉が降りていた場所で、明らかに人間が降ろしたものと見られる。場所を移動することに決めた。」とある。そんなこともあった。人よりサルに同情する人もいるのだ。
     森林再生課が自伐型林業をテーマに東原町で募集する協力隊に向けてのPR動画について打ち合わせをした。木工所でわたしが遊ぶ様子も撮影したいということになった。
  • 6月30日(木):地域の木工屋に相談 / 椅子の試作
     前日のことを相談しに内川の木工屋を訪ねた。ついでに、この間手に入れたケヤキで何かつくりたいと言うと、椅子くらいなら簡単に作れるといって、作り方を聞いたから、午後、実際に作ってみた。椅子はケヤキをくれた方にあげたが、椅子ではなく花台として使われている。それもいい。
  • 7月1日(金):蒸留機の設計
     手近なところで手に入る資材で作れるような蒸留機を設計した。
  • 7月2日(土):資材調達
     蒸留機製作のための資材を調達した。
     数日後、製作して、実際にミントを蒸留し、ほんのわずかな精油を得た。蒸留機は不備があってそれ以降は使用していない。しかし、作り方はもうわかって次はより良いものを作れるから、いつか必要があれば作ることになるだろう。

思い出すこと

 土日も働いているのは、1年目はわたしが平日気まぐれに休むためであり、3年目は林業大学校の研修のために月に4日協力隊を休まねばならないためだった。

 1年目も3年目もあまり変わらないように見えるが、わたしの心境は違っていて、1年目はこれでいいのかという思いで、一生懸命働かなければ、というよりもなおたちが悪いことに、一生懸命働いているようにみんなにみられなければ、という飢えた気持ちでいた。3年目にはもうそういう立派な人間に見られようという見栄は放擲していて、ただ日々の活動に充足して好き好きに働いていた。

3. 協力隊の働き方

 協力隊の活動は、ほとんどわたしの自由裁量ではあったが、月毎のサポート会議で市と地域とに相談しながら決めていた。

 サポート会議は、市の協力隊担当者、内川地区の代表者、わたしの三者が集まって、月々の活動や、今取り組んでいる活動の方針、計画、予定などについて、話し合う会議で、地区の代表者はわたしの場合には、地域の相談役である内川振興協議会の会長と、協力隊の事務作業をこなしてくれたり、活動を支えてくれていた内川公民館の主事の2名が会議に参加してくれた。会議の内容は、前月の活動を報告し、今月の活動の予定について説明した後、それらに関して市の担当者や相談役から助言や提案をもらい、それからそれへ話に花がさく、という流れだった。

 内川振興協議会の会長は、常にわたしの良き相談役となってくれて、活動の指針はわたしと相談役との話し合いで決定しいていった。

意見の対立と二者の相違

 サポート会議ではわたしが何かしら意見を挙げると、頻繁に反対意見が、特に相談役から飛んできた。わたしの意見は容易には通らなかったと不満を言いたいのではない。むしろ反対に、意見のこの対立が含む無限大の豊穣を言いたいのだ。

 意見の相違は、もとよりわたしと彼との間にはある数え切れない相違から言えば当然である。
 彼とわたしの間には半世紀近い年齢差がある。彼は北陸の雪深い山で生まれ育ち、わたしは関東の平野部のひだまりに暮らしていた。彼は生粋の内川びとで、わたしは移住組。彼は大事な長男で、わたしは自由気ままな末っ子。
 このような環境的な相違に加えて気質の違いというものもあって、彼は堅気な役所勤めを果た終えたが、わたしはさまようフリーターをついに脱しえなかった。彼は勤勉で、わたしは怠惰、彼は現実家で、わたしは夢想家。
 しかし、彼もわたしも内川を気に入っていて、そして、互いを信頼していた。

 この間違いのない共通点を出発地として対話をしていけば、さまざまな相違がありながら、サポート会議では、いつも納得のいく結論へと辿り着くことができた。わたしはこのような、よりよい結論を目指して、粘り強く続けていく対話の精神を非常に尊ぶ。

 対話というのは、意見の対立があっても流行りの討論とはかけ離れていて、どちらの意見が最終的に互いが納得した結論となっても勝者も敗者もなくて、ただ二人が共によりよい結論に至れたことで、どちらもが対話する以前よりも豊かな考えをものにできる。自分と全く同じ考えの人と話すことは気持ちよくなりはしても、その考えを深めたり進めることはできない。考えの違いこそが考えを深めるのだから。

 誰かと意見の対立があったときに、それを互いの相違によって生じる乗り越えられない対立なのだと決めつけて、そのうえで相手にレッテルを貼ることによって、対話の途絶を相手のせいにして済ましてしまうことは簡単だが、そこに実りはない。
 そうではなくて、互いのさまざまな相違に基づく考えの違いがありながら、互いに納得できる結論へ至ることによって、より普遍的な正しい考えへと到達できる。対話にはこの豊かさがある。対話の豊かさは相違によって生まれる。あるいは、対話によって、私たちの間の違いを豊かさに変えることができる。

ミツバチとクマ

 話が抽象的になり過ぎたので一例を挙げれば、内川には野生の草木が豊かだから、ミツバチを育てて野の花々のハチミツをつくってみたい、と提案したことがある。そのときの会話を再現してみる。

「ミツバチを育ててみたいので、飼育箱をつくりました。分蜂がはじまる4月に箱を置いて、ハチが入るのを待とうと思います。」
「いい考えだけど、クマに襲われてしまうだろうから、どうだろうね。」
「東原町でミツバチを飼っている方を訪ねて、飼育の様子を見て、話を聞いてきました。やはりクマに襲われることがあるということで困ると言っていました。しかし、イノシシ同様電気柵をはれば防御できて、巣箱を壊されずに済むと言っていました。」
「問題はハチの巣箱が壊されるかどうかじゃないんだ。巣箱のミツの匂いにつられてクマが来るということが問題なんだ。ミツバチを飼うことで、奥山から人家の近いところにクマを近づける原因をわざわざつくってしまうのは望ましくないことだからね。だから例えば、人家から遠く離れた奥山に巣箱を置くのはいいとおもう。でも、奥にミツバチ飼育の適地はなさそうだし、管理が大変だろうしなあ。」
「そうなんですね。クマ地域の方々に危害が生じる可能性があるなら、内川に巣箱を置くのはやめておきます。彼女の実家の能登で置かせてもらえないか、聞いてみようかな。」

 正直、それまで内川でクマを見たことも気配を感じたこともなかったから、クマが集落にも近づくことや、本当にハチミツが大好物で寄ってくるのか、疑問に思いながらも、わたしの楽観よりも内川で生活してきた方の経験を重く受け止めて、飼育箱の設置は取りやめた。
 そして、2ヶ月も経たないうちに、わたしの家の近くで1頭のクマが捕獲された。もし家の庭にミツバチを飼っていたら、と思うと恐ろしかった。

相違と補完

 誰かと意見の対立があったときに、相手自身を否定して済ますことくらい簡単で、不毛なことはない。
 例えば、時々耳にする「山の方の年寄りは頑固で頭が硬くいから、新しいことを受け入れてくれない」などというさみしい言葉がある。わたしはそんなことは決してないと思っている。
 つまり、こういうことなのではないか。年配者は積み重ねてきた経験によって判断を下す傾向にある一方で、経験に乏しい若者は往々にして想像や、知識によって経験を補いながら判断する。だから、ときには二つの判断が分かれるということもある。
 このような判断の傾向の違いを抜きにして話しあったときにちょっとでも意見が分かれると、年寄りは頑固だとか頭が硬いとかいうレッテルを貼って済ませるというになるのだ。
 年長者は、年長者であるが故に頑固でも頭が硬いわけではないし、若者の話を聞き入れない、ということもない。もし全く話を聞き入れない年配者がいるとすればおそらくそれはその人物が年長者であるからではなく、その人物であるからであり、きっと壮年のころから人の話を聞かなかった人間だったというだけのことに過ぎない。

 むしろ、年長者と若者との間に違いがあることによってこそ、フランシス・ベーコンが言うように、両者が共に一つの仕事に取り組むことが有益になる。「少壮と老年について」の中で、ベーコンは若者と年長者の利点について言っている。

 「若い者は判断を下すよりは創意に適し、忠言を与えるよりは実行にあたるに適し、型にはまった事務よりも新しい企画に適する。そして老年の経験はその届きえる範囲内の事物に対しては指針を与えるが、全然新しいことに対しては、当惑を与えるだけである。」と言っている。
 それぞれの失敗については、若者は大胆ゆえに盲目的になり大きな過失を招きかねないのに対して、老年の過失はもっと早く、たくさんできたのにしなかったというこうとに尽きる、と皮肉を混じえて説明して、さらに続けている。

 「両方を併せ使用することは確かに適当である。即ち、そうすれば、両方の年齢の長所が両方の短所を補うわけだから、現在のためにもよろしく、又、老いたる者が実行にあたり、若い者が習い学ぶ機会を得るのは将来のためにもよいわけである。最後に、老いたる者は権威を有し、若い者には愛顧と人望があるから、対外的の出来事にあたるにも都合がよいのである。」

 このベーコンの残した散文ほど、移住した若者が地域の年長者と共に活動に取り組んでいくという協力隊の制度の利点について、簡潔にあらわしている文章は他にないと思われる。そして、サポート会議の様子もちょうどこのようにして、わたしの経験に拘束されない想像力が生み出した新しい提案や計画について、地域の相談役が豊かな経験によって助言や修正、ときには諌言によって、わたしたちの活動が向かうべき方向を正してくれた。

 以上、覚書(3)おしまい。次からようやく活動にはいります。


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