内川生活
内川地区 元・地域おこし協力隊高野ののんしゃらんな生活について。
時間の旅、内川は金沢市内川地域の情報サイトを目指しながら、寄り道ばかりしているサイトです。
2020年から、「地域おこし協力隊」として金沢市内川地区に引っ越しして、地域おこし活動といいながら、3年間遊んできました。そして、無事に2023年3月に三年間の任期を終え、「地域おこし協力隊」という仰々しい看板を下すことができました。(協力隊の覚書はこちら)
さあ、より一層、内川で遊んでいくぞ、という意気を込めて、サイトの名前を変えてみました。
今後ともよろしくお願いいたします。
金沢市は北東から南東に連なる山々を背負いながら、西側では日本海に向けてふところをひらいています。東側の山谷から流れる川は金沢平野部の田畑や市民の生活を潤しながら、日本海に住む生き物を養っています。山の生活は平地同様、河川沿岸で営まれるから川に沿って集落が形成されています。そして、浅野川に沿って湯涌地域が、犀川に沿って犀川地域があるように、犀川の支流である内川に沿って内川地区があります。
湯涌地域や犀川地域が山間を流れる穏やかな河川に沿うて地域の主線道路が通っているのに対して、内川の主道は山尾根を通っています。それで、山間地とはいえ、山あい、山の間という意味合いでなくて、まさに内川は山の中にあります。
2024年の「内川たけのこご飯」の販売は終了いたしました。来年もよろしくお願いいたします。
たけのこの名産地、別所では、副産物となる竹も集荷しています。また、竹を出荷するだけでなく、割竹や、竹杭に加工している別所の竹屋もあります。
作家のユルスナールは『目を見開いて』という対話集の終わりの方で旅について語っています。「人が旅をするのは観照し観察するためなのです。旅というものはすべて、動く観照なんです。」と考える彼女は、つづけて言っています。
「生涯を通じて私は旅に心を引かれてきました。ここ数年間は、いくつかの理由からここをほとんど動くことができませんでしたが、最初のうち私は、そういう状態を残酷な「拘束」と感じていました。それでも内心では、ますます画一化が進んでいるこの世界では、おそらく私は旅の価値を過大に考えているのだと思っていました。私はまた、地上の一点で動かずにいる利点も理解しました。同じ場所で四季の移ろいを眺めることもやはり旅なのです。大地とともに旅しているのです。」
またユルスナールは1987年の3ヶ月にわたる日本滞在の記念に「空間の旅・時間の旅」という講演を行いました。
芭蕉の「月日は百代の過客にして…」に続けて、「夏草や 兵どもが夢の跡」を引くことからはじめるこの講演で、ユルスナールは、芭蕉がみすぼらしい宿で寡黙な旅の伴侶である馬がたてる音を耳にしながら、「彼はまた同時に、生い茂った草の中でゆれ動く六世紀の死者たちの魂を聞く」ことを指摘して、空間の旅はいつでも時間の旅でもあると言います。
なぜなら、ユルスナールによれば、旅においては「現在と過去がいたるところで目に映り、行く道の先々でまじりあっています。私たちは未来を語ることが多いのですが、まさにその未来だけが、地平線の彼方にあって目に入らないのです。」
わたしの過ごした三年間も、定住、あるいは単に生活と呼んでよくても、とにかくひとつの旅であり、たしかにこの内川の四季をめぐる旅も時間の旅でもあって、わたしの知らない内川の古層にぶつかる瞬間がありました。そして、この内川の生活という旅はまだまだ続いていって、わたしにもわずかな観照の瞬間が訪れるときがあったし、今後もあることを願っています。そのテオーリアをどうにかこうにか言葉によって結晶化させることで、この時間の旅の旅行記として残すことはできはしないだろうか、と思います。