覚書(1)内川について

1. 協力隊応募の経緯

 わたしは地域おこし協力隊とはなにか、何も知らずに来た。
 はじめは能登の方に引っ越しを考えていた。働き先はなんでもあるだろう、なんでもいいし働こうと考えていた。しかし、彼女が東京の移住相談所に行き、地方で仕事を見つけることは簡単じゃない、と叱られ、今は協力隊という制度があるから検討してみては、と提案されてきた。悪くないかもな、と思った。わたしは漠然と、引っ越した先で、その地域で必要な仕事ができればいいとおもっていた。漁業が盛んな地域では船に乗り、農業が盛んな地域では、トラクターに乗ればいい。それで、協力隊であれば、まさしく地域で必要な仕事ができるだろう、しかも月々安定して給料がもらえるなんて、悪くないかもな、と。

 それで能登の方の協力隊を視野にいれて、再度移住相談所に詳しく話を聞きに行った。能登の方で募集する協力隊について詳しく話を聞いていくと、わたしの人格と相性が悪い活動のように思えてきた。というのは、活動内容がしっかりしすぎていたのだ。わたしはもっとのんしゃらんで、ルーズで、おおらかな雰囲気の場にいたかった。
 たまたま説明された金沢市の協力隊の活動概要は(1)地域伝統のたけのこ料理や郷土料理の継承、(2)名産のたけのこを使った新たな商品開発、(3)農林業への従事、(4)スポーツを絡めた地域振興、というものだった。曖昧で、すべきことが決まっていなくて、それが大きな魅力と感じた。

 とりあえず、活動地区の内川へ行ってみることにした。

 内川が気に入った。そして引っ越すことにした。

 協力隊は、募集してみて受かったらそれもいいか、という気持ちだった。落ちたら、アルバイトしながら、内川で農業や林業で、遊びながら試してみるつもりでいた。
 落ちるということはわたしよりはしっかりとしたな協力隊員が内川に来るということだから、きっとその人と一緒に何か遊べたら楽しいだろうなとおもってもいた。しかしそんな人はいなかった。応募はわたし一人だったようで、それでわたしは協力隊員になった。

2. 内川について

 内川についてわたしの見たよう聞いたように、記す。

内川の地理誌

 金沢市民の9割以上が生活している市街地は、日本海に面した市の西側のわずかな平地と台地で、市全体の4割ほどの面積に過ぎない。残りの6割は金沢市の東から南にかけて広がる森林が占めている。東側の山々は富山との県境をなしていて、南は白山市と接している。
 内川地区は金沢市南部の中山間地で、南北に長い地域は南に向かうほど次第に標高が増していき、周囲の山も険しさを増していく。内川地区の最奥の町からさらに南に連なる山々の奥の奥には峻厳な霊峰白山麓が控えている。

 内川地区には下から別所町、三小牛(みつこうじ)町、蓮花町、山川(やまご)町、緑団地、元泉、小原町、新保町、住吉町の9つの集落がある。地区のちょうど真ん中あたりに内川公民館が、そこから少し登ると小中合併校の内川小中学校があって、これらが内川の地域活動の中心的役割を担っている。
 それより上に所在する新保、小原、住吉の三集落は、金沢市内でも雪の多い地区とされる内川の中にあっても、別世界とみなされていて、降雪量も、寒さもひとしお厳しい。そしてさらに奥へ進むと内川ダムがある。かつてはダムのあたりに堂町が、そのさらに奥には菊水町があったが、現在はどちらも廃村となっている。

 人口はだいたい1000人ほどで、介護施設の入居者などを除くとおそらく600人から700人だろうと思われる。少子高齢化が進む地域で、いわゆる限界集落も少なくないが、若者がいないこともない。しかし、地域産業で生活することが望めず、ほとんどが市街へ働きに出ているため、平日日中に地区内で若者に会うことは稀である。一度市街へ出て、結婚や子どもができてから実家に帰ったり、あるいは実家近くに家を建てるなどして、内川に戻ってくる人も少なくないため、休日や平日の通学時には子どもの元気な声が響く。というのは、北から南へ縦に長い内川地区を市街から貫く主幹道路は小中学校の通学路となっているからで、この内川の住民が通学時間に内川を移動するときには必ず、地域の子どもたちの元気な姿を目にするということが、内川小中学校の子どもたちは地域の未来そのものであり、地域全体で大切に育んでいかねばならない、という共通の意識へとしぜんにつながっている。

農業について

 田舎、地方、山の集落、などという概念でしかない言葉が並べられるとそこからは、農業を中心とした一次産業で暮らしを立てている人々の姿が浮かんでくる。内川もこれらの言葉に紐づけられることが多いが、しかし、内川地区で農業で生計を立てている人は皆無に近く、片手で数える程度である。それら専業農家の耕作地以外の内川地区の大部分の農地は、平日は町に勤めに出ている兼業農家が休日を使って農作業をしたり、定年を迎えてもなお働き盛りの年配者が耕作することで維持されている。

 内川では、地区全域でたけのこ生産が盛んで、また、水田では、中山間地特有の、昼夜の寒暖差、冷たい山水といった風土によって美味しいお米が育つ。山上のあたりでは、梅、銀杏、柿などの果樹や、ミョウガ、ゼンマイなどが栽培されている。
 そのほか、畑作では、多くの地域住民が自家消費用の野菜を育てている。

 ここで農家というものを(1)専業農家と、(2)生産物を市場や農協に出荷したり直売所へ持っていっている農家、(3)自家消費のために田畑を耕しているの農家、という大まかな3つに区分してみると、わたしは数字的な把握は全然していないが、内川には数名の(1)専業農家の他の大部分は兼業農家であり、そのうち、おそらく(2)と(3)との割合は半々くらいではないかと思っている。

 わたしははじめのうちは、数名の専業農家に対して、農業だけで生計を立てられているなんて立派だなあと尊敬の念を抱いていたが、そして尊敬は今も変わらないが、やがて兼業農家や、定年を迎えてもなお労苦の絶えない農作業に努めている人たちに深い敬意を覚えはじめた。このような人たちがいることによって、内川の田畑は今に残されているのだから。

森林について

 内川には人家と田畑の他に梅、柿、銀杏の栽培地があり、また広大な森林を有している。
 金沢市全体でみると、市総面積の約6割に及ぶ28,000haが森林で、そのうちスギなどの針葉樹造林地は3割で、その他の多くは天然林や自然林である。
 内川では、大別すると、公民館から下の集落では森林の大半を竹林が占めている一方で、公民館から上ではスギ造林地や広葉樹自然林が広がり、竹林の割合は下の方ほど高くはない。具体的な数値や割合はわからない。そもそも四方の森林のどこまでが内川地区なのかすらわかっていない。多分地元の方々も知らないだろう。

 内川地区は県内有数のたけのこ名産地として知られ、最盛期には、60戸ほどのたけのこ生産農家が年間250 t以上のたけのこを出荷していたが、現在では、たけのこ生産農家は約20戸、1年の総出荷量は100 t以下にまで減少している。生産量は竹林の管理面積にイコールである。たけのこの生産量が減った分だけ、内川の管理されている竹林の面積も減少したと考えてよくて、つまり放置竹林が大幅に増加している。

 戦後、戦禍で崩壊した家々の建て直しのために木材需要は高じて、用材のためのスギの伐採が進み、同時に苗木の植栽も盛んに行われた。しかし、外材が入るようになると、国産材の値段は下落し、現在誰もが知るように、林業は儲からない、と言われる状況になり、伐採適期を迎えた立派なスギは伐採を先延ばしになり、森林が高齢化している。

 天然林は、日本にガス燃料が普及する以前には、燃料を生産するために、20年から30年ほどのサイクルで伐採が繰り返されてきて、それにより良質な天然林が維持されてきたが、化石燃料の普及により薪や炭の需要は急激に低下し、利用されなくなったことで、放置される自然林が増加してきた。現在も状況はかわっていない。

3. 地域の組織の構造と自治

 埼玉から内川地区へ来て驚いたことの一つに地域の自治的な主体性の高さがある。 わたしが来てから2年間はコロナの影響で地域行事が皆無であったが、3年目にしてようやく、いろいろな行事が少しずつ再開されてきた。内川に一年で一番人が集まるたけのこまつりや、地域の主幹であり、子どもたちの通学路でもある道路脇にみんなで花を植える花いっぱい運動、体育祭、文化祭、夏祭り、グランドゴルフ大会、雪だるまウィークなど、様々な活動が地域が主体となって開催されている。
 この地域自治の主体となっているのが公民館であり、この特徴は金沢方式ともよばれる公民館の運営方式によるところが大きい。

内川公民館

金沢市の資料によれば、金沢市の公民館には

  1. 地域主導:運営を各地域に委託している
  2. ボランティア:活動は多くのボランティアによって支えられている
  3. 地元負担:運営費や設備の整備費などは一部地元の負担によってまかなわれている

 という三つの特徴がある。わたしから見ると、金沢の公民館の一番の特徴は、地区の各町会から選出された公民館委員が運営に参画する点にある。必要に応じて不定期に開かれる公民館の会議においても、いち地域市民である公民館委員が積極的に意見し、それぞれの活動の内容や必要な事柄についての話し合いは有意義に進んでいく。

 金沢方式のメリットは3つ挙げられている。

  1. 住民に身近な拠点
  2. 地域に明るい職員
  3. 利用しやすい公民館

 それぞれについて、少し詳しく説明していくと、

  1. 住民に身近な拠点:小学校区ごとという身近なところに公民館が設置されている
     近年の小学校の統廃合によってすべて一致しているわけではなくなったが、金沢市では原則的に小学校区ごとに地区公民館が設置されており、特に中山間地においてはこの小学校区がひとまとまりの統一性を持った地区という認識が強い。だから、内川地区は内川という地名があるわけではないが、内川小学校の学区に属する9つの町の集まりとしてたしかな連帯感を共有している。
  2. 地域に明るい職員:地域主体で職員を雇用することで、地域に寄り添った運営がなされる
     金沢市の公民館には主事などの常勤職員がいて、地域住民が務めていることが多いため、地域のことで公民館に相談に行けば、地域の情報に非常に精通している主事その他の職員によって解決することが少なくない。
     わたしも協力隊着任のはじめのころ、公民館で地域の情報をたくさん聞くことができて大いに助かった。
  3. 利用しやすい公民館:公民館を活用する各種団体が公民館を拠点として事業を展開しており、地域住民が誰でも気軽に利用できる
     各種団体とは、わたしもまだ全体的な把握はできていないのだが、体育協会、民生員会、長生会、女性会、など様々な団体が公民館を中心にして活発な取り組みを行なっている。わたしは公民館で開催される様々な催しに参加しているが、どこが主催の活動かわからないままとりあえず公民館に行くことが多い。そして楽しんで帰って、果たして今日はなの活動だったのか、よくわかっていないことに気づく。

内川校下町会連合会と内川振興協議会

 公民館が内川の地域の賑わいの中心であるとすれば、内川の地域振興を担っている組織が町会連合会と振興協議会である。町会連合会とは、内川の9つの町会の町会長の寄り合いであり、中山間地ならではの地域課題の解決に取り組んでいる。
 例えば、学校の生徒数減少によって存続が危ぶまれていることから、特任校制度を活用し、他学区から通いたいという生徒の受け入れを可能にした。また、内川にはバスの運行が少ないため、特任生の通学や、自動車の運転できない年配者の交通の足となるような、コミュニティバスの運行を行なっている。

 しかし、各町会の町会長は任期が2年であり、したがって町会連合会は顔ぶれの出入りが多い。そのため一丸となって長期的な計画に取り組むことはなかなか難しいことから、振興協議会が町会連合会の諮問機関として常任の委員によって組織されている。地域おこし協力隊の制度を活用し、募集し、世話をしてくれた組織がこの振興協議会である。

 ちなみにわたしの協力隊応募時の面接では、市の偉い立場らしい面々の他、地域からは町会連合会の会長、振興協議会の会長、公民館長がわたしを審査していた。たしかに、わたしの面接に臨んてくれたこれら3つの組織が内川地区を支える主幹である。

 このような地域の組織の構造についてわたしは協力隊3年目の末に理解した。つまり、別に構造を知らなくても問題はない。ただこのような構造を理解してようやく、わたしが内川で生活する中で、たびたび敬意を抱くことになった地域の魅力的な面が、いずれもこのような構造によってかたちづくられているということをも理解した。

 わたしが尊敬する内川の姿の一つに、地域で開かれる会議がある。

寄りあい的精神

 内川での何かしらの会議や、わたしと内川地区の代表者と市役所の担当者とで行われていた月一の会議などに参加して、思い出した風景がある。といってもわたしの記憶にある風景ではない。

 少し寄り道をするが岩波文庫に宮本常一の『忘れられた日本人』といういい本がある。はじめに寄りあいの話がでてくる。訪ねた対馬の村で立ち会った、二日も三日も決着がつくまで粘り強く続けた寄りあいの様子を記した後で、宮本はいう。

「昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理窟をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係のある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。」

 内川に来る前に読んだ、この、おそらくかつて日本のどこででも繰り返されていた、非常に豊かな明るさを感じさせる寄りあいの風景を、わたしは内川で開かれる会議でたびたび思い出したのだ。とはいえ、内川の話し合いはもちろんこのようにおそろしく気長に続けれられるというわけではないし、時間に限りがあるため、多数決で結論が決められることも多々ある。
 それでも内川の話し合いには、かつての寄りあいにあった、一人ひとりの声に耳を傾け、みんなが納得のいく最良の結論へと根気強く対話を続けていこうという精神が通底している。

 公民館の会議において、館長がしきりに、若い世代の人たちが公民館委員やその他の役職として会議に参加してくれているのだから、「ことしは若い人に積極的に発言してほしい」とか、「ことしの公民館のテーマは若い声を聞くということにしたい」と言っているのを聞いても、それが空虚に響くことはなくて、会議がよりよく進み、ひいては地域がよりよく活気づいていくためには、話し合いの場が若い声でにぎわうことが望ましいと願っての、若い参加者たちに期待しての発言ということがわかる。
 それで、広い世代の集まりで往々にしてみられるように、若い人たちは会議に参加していながら聴者に徹している、などということは、内川の話し合いの場では見られなくて、若い人もみな必要に応じて声をあげている。

4.地域の魅力

 内川地区は、住民の高齢化、地域産業の衰退、小中学校の生徒数減少、地域環境の荒廃など、さまざまな課題が山積みである。そしてその解決に取り組むことのできる地域住民の数も減少している。
 このように地域の課題を列挙して、内川に魅力がないということが言いたいのではない。課題は山積みでありながら、これらの解決に向けて意欲的に取り組んでいる地域の方々の存在が、わたしの目には、内川の一番の魅力と映る。

 内川の自然の豊かさや風景の美しさは来てみればわかる。生活していて心地よいことは住んでみればわかる。しかしこれらの魅力は内川をより良い地域にしようと努めている地域の方々の姿に比べれば、些事である。

 以上、覚書(1)おしまい。


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