陶芸のよろこびと伝わらないさみしさ

謙遜と否定

 先日、知人との雑談で、話が陶芸に及んだ。「おれこないだろくろで器つくってみたよ、陶芸家の友人に教えてもらって。素人でもあんがい、悪くないもんがつくれたよ、」と、つくった茶碗の写真を見せた。知人に「本当だ、うまいですね。」と言われて、そのろくろ挽きの楽しい思い出がよみがえって、「そうなんだよ、ほんとに、」と返すと、「あ、謙遜しないんですね。」と苦笑いされた。あたりまえだ、上手にできたんだから上手にできたと言って何が悪いんだ、と思いながら、「そりゃそうさ。実際、上手にできたんだから、」とあつかましくも別の写真まで見せた。

 振りかえって奇妙なやり取りだと思った。かれはわたしが謙遜する前提でほめたのだろうか。それならほめなければいいのに。断られるつもりで差し出す贈り物ほどくだらないものはない。そして、わたしはその贈り物を本当に受け取ってしまったというわけだ。それなら相手にしてみれば確かに驚いたかもしれない。

 その知人はわたしの協力隊の活動について立派だとほめることがときどきあって、わたしが「いやあ適当な活動で、大したことはしていないんだよね、」と返すと、いつも決まってそれを否定しさらに称賛する。その都度、わたしは、わたしが適当な働きしかしていないことや、そのためにわずかな成果しか得られていないことを知っているから、それは謙遜ではなくて、むしろ自分の仕事を正確に把握しているという自負を持って賞賛を否定したのに、どうしてそれをかき消されてさらにほめられなければいけないのだろうか、と居心地の悪さを感じた。
 わたしは、わたしの努力の過小な働きに負い目を感じてはいないし、わずかな成果も恥としてはいない。かれはこれらをわたしが恥じていると勘違いして、慰めようと、より賞賛してくれていたのだろうか。
 わたしにとって、努力の少ない働きは、わたしが協力隊の活動に苦悩せず楽しんだ証であるし、わずかな成果というのは、表にあらわれたそのわずかな成果よりもずっと多くの、さまざまな知見や経験、技術、友情など、成果以上に大切なものを得られたという充実感の裏返しである。
 だから、大袈裟な賞賛をわたしの自負するところに依って否定したのにも関わらず、それを否定されてしまったときには、いつも心にさみしさがのこった。

 ほめられてそれを否定し、相手はわたしの否定をさらに否定していた今までの場合とは反対に、今回は、わたしはほめられてそれに同意し、しかし相手はわたしの同意を否定したのだ。無茶苦茶だ。あるいは今までわたしをほめた言葉の数々も謙遜を前提として言っていたのかもしれなくて、それは賞賛ではなくて追従という。それならばわたしは特段真に受ける必要もなかったわけだ。

ろくろ縁起

 ひところから木挽き、木地師に関心があって、それらに関する本をあさっているとき、ろくろの写真が目に入った。一人がひもをひいて軸を回転させ、その回転を使って木地を挽く手びきろくろも、機織り機のように座って、木地師が一人で足で紐を繰って軸を回転させながら挽く足踏みろくろも、単純な構造でわたしを魅了した。ほしいなあと思った。
 そうこうしていると、こことは違う山の上に暮らす友人にろくろをもらった。しかし、友人は陶芸をしていて、もらったろくろも陶芸用のだった。
 土を材料にしてこね上げていく陶芸のろくろは縦に軸を持っていて、木を削っていく木挽きは横向きの軸で回転させる。この違いが何か意味のあるものに感じられるが、石川淳の「八幡縁起」の木地師が山崖に横穴を穿った岩屋に住んでいることは示唆的なように、いつか頭の中のこれらに整理がついて、書ける日は来るのだろうか。

 とにかく、友人が言うには、そのまた友人の陶芸家が不要となったため、もらってくれればありがたいと言うことだった。もらうことにした。ろくろをもらったことよりもなおありがたいことに、譲る手前責任を持って使い方を教えてあなければね、ということで、陶芸の手ほどきを受けた。

水挽き

 最初の機会には菊練りを教わり、それからろくろを回して挽いてみた。しかしどうしても器は形を結ばずに、歪んで、あるいは崩れて、結局手遊びにしかならなかった。
 今わたしの先生となった友人がろくろの前に座り、回転する円盤の中心に据えられた土くれを両手で包み込むと、先ほどわたしがどのように手で押しても厳として動じなかったのに、土は生き物のように滑らかに伸びたり縮んだりして、気づけば中心には緩やかな穴があいていた。もうほとんど器の姿形が見てとれた。

 不遜にもわたしはその手並みに嫉妬して、こうも簡単に、土を意のままに操れたらさぞ楽しいだろうなあと思って眺めた。曰く、もう手が覚えているんだろうね。最近読んだオルハン・パムクの『わたしの名は赤』で繰り返し語られる、盲目と最も美しい絵にまつわる挿話を読んで既視感を覚えたのだったが、その記憶はこのときの彼の言葉に繋がっていたらしい。
 それはたとえば、「神が望まれ、実際にご覧になった真の馬を描くには、絵師は五十年の間、筆を止めることなく馬を描き続けなければいけないのだそうな。もとより、究極の馬が描かれるのは神の暗闇の中においてのみ、よって五十年の間、精進を重ねた絵師がやがてめしい、ただ描くべき馬を覚えこんだその手のみが、真の馬を描き出せるのだとか」といった具合で語られる。

オルハン・パムク『わたしの名は赤』

 気まぐれな手がつくり出した美しい器をこともなげに潰して器を生み出した土塊のなかに混ぜ込んでしまって、先生がさあもう一度やってごらんと言った。しかし、わたしがどんなに努めても、今目の前で簡単につくられてしまった器の方がずっといい形に決まっていて、その造形には到底届かないことを思うといささかもの憂くなった。

 それでも両のたなごころを土くれに当てて、ろくろを回転させる。相変わらず、ただ手は土の表面を滑るばかりで形をなさない。見かねた先生がもっと水をつけるように指示してくれる。「水が大事だよ。ろくろは水挽きというくらいだからね。」
 確かに頻繁に手に水をつけて土に向かうと、少しずつ、土が滑らかに形をかえてくれるようになった。そうこうしていると、わたしがしきりに濡れた手で撫でるもんだから、器の表面の細かい粒子は溶け出し、硬い大きな粒が表に現れてきてざらつくようになった。押さえつけている左右の手のひらが痛い。つまり時間をかけすぎたのだ。
 やり直しかなと思うと同時に背後からやり直しだねと声がかかった。結局、その日は何も形を結ばずに終わった。

 2度目の手ほどきでは、ようやく、自分のすべきことを学んだ手が働いて、器のかたちをなすことができた。

 3度目はそれから1週間ほどしてだった。先日わたしたちがろくろでつくりだした、ほどよく硬く乾いた器を、今度は削っていくのだと聞いて驚いた。陶芸はただ土くれを手で引き延ばすだけではなくて、その後で削るということは知らなかった。
 もうしくじれないという思いがかきべらを握る手を揺らして、それを抑えようと思えばより一層震えた。今回はもうしくじってもいいと思うと案外震えはおさまって、ろくろの上で回転する器にヘラ先をあてがうと、表面の余分な厚みを小気味よく剥いていった。それでも、じょじょに小さくなっていく姿を見ると、もう向こうまで貫くのではないか、もう穴が開くのではないか、という恐れが出てきて、また手は小さく震えはじめた。
 実際にはまだまだ削れたのだったが、失敗するのがこわくなり、分厚いままでやめてしまった。だから出来上がりを手にもつと、いつもの茶碗とは違う異様な重みを感じた。

 釉薬も焼きも先生にお任せで、完成品をいただいた。

 そしてどこまでも楽しい手遊びの思い出は蘇ってきて、それはうまいことつくれたという喜びと一体のもので引き離すことはできない。もちろん失敗したり歪んだ形しかつくれなかったとしても楽しい思い出は楽しいままだろうけれど、やはり上手くつくれたときとは別の性質のものになるだろう。

 上手につくれた満足はそのまま楽しかったという満足であって、自慢にはならない。ただ一度だけ器らしい形がつくれたことは、人の優劣の判断になんの材料も提供しない。それだから、謙遜しないんですねという言葉はわたしを傷つけはしなくても、意味が測りかねて、大きな違和感を残した。

褒め言葉を受け取ること

 そもそもわたしたちは謙遜というものを過度に美徳としてあがめすぎてはいないだろうか。ものをもらうときには一度断る姿勢を見せるのが礼儀だろうという考えが吝嗇家の発想であることを思えば、謙遜が美徳であるのは、やたらにほめられたい人間にとってだけといっていいのではないだろうか。

 わたしはかつて、自分の容姿の良し悪しがひじょうに気になっていた時期があって、そのころは、ひとから容姿をほめられたときにはいつでもそれがお世辞ではないかと疑ってかかって、そして決まってお世辞だろうという方に判断は傾いた。しかし、わたしにはどうやってもわたしの容姿の良し悪しを直接には判断することはできないということに気づいたことから、というのは鏡にうつる像はわたしの願望を多分に反映しているし、写真の自分もどうしても贔屓目に見たりあるいはうつりが悪いのだ云々と言い訳する、それで、容姿のことは不可知のこととして、容姿が良くも悪くもいずれにせよ影響のない生き方をしたいものだと願うようになって、容姿のことはまったく気にならなくなった。わたしの容姿はわたしにはなんら関係のないものになったのだ。
 以前には容姿をほめられたとき過剰に否定したのが、それからというもの、否定できなくなった。というのはわたしにはわたしの容姿はわからないのだから、否定しようがないのだった。それで、その人の言葉を信じて、その人はわたしを見目良いと感じているのだな、と素直に受け取るようになった。
 それからは、なにについてでもあれ、褒め言葉を否定するというのは、その人の感受性や、言葉を否定することであり、ひじょうに失礼なことなのではないかと思った。

自惚れともう一つの悪徳

 確かに自惚れは恥ずかしい悪徳で、それを避けるためには本心に逆らってでも謙遜していればすむわけで、しかも謙遜するとさらにその謙遜への賞賛というご褒美までもらえることがあるとなれば癖になってしまうのも頷ける。しかしわたしは、自惚れという悪徳の他に、もう一つの悪徳があることを知っている。

 田中美知太郎という美しい名前の哲学者が書いた『ロゴスとイデア』という誰が読んでもいい名著がある。その中の「ミソロゴス」という文章で美知太郎は、心と言葉の、また、言葉と行動の、そして心と行動の一致と不一致についての思索から、言行一致というものが絶対的に尊ぶべき優れたものであるならば、本来人格の向上によってこそ得られるものを道徳的な努力なしに、つまり自分たちについて語る言葉の内容を縮小低下させることによって、外面的には人格の向上に似た結果を生み、道徳上の優者になれてしまうことを指摘する。そして、ギリシア人が悪徳とみなしていたものについて教えてくれる。

 「自己について語られる言葉が実際より内輪である時、われわれはそこに卑下や謙遜を見る。しかしながら、ギリシア人はかかる美徳を知らなかったかのようである。少なくとも、それに当たるギリシア語を見つけることは困難に思われる。ギリシア人は自己についても事実あるがままの言行を美徳としたので、自己を実際よりも低く見せようとする作為をむしろ悪徳とした。」

 謙遜という美徳のマントを被った悪徳へギリシア人たちが向けた正確な批評がわたしに響いて以来なるべく自分や自分の果たした行いを把握するのに高く見積もらぬよう自戒するとともに、また、低く見当づけることをも避けて、そうして過不足ない正確な自己の姿を見つめるようにと努めることとなった。

Humilites

 また、ここに『キリスト教講義』とやや硬いタイトルながらキリスト者以外に対しても広く開かれた良書がある。共著者の若松英輔と山本芳久とのあいだで繰り広げられる活発な対話の中で、「貧しさ humilite」という語が話題にのぼったときに山本は、「humiliteはキリスト教思想のなかではとても大事な言葉で、ラテン語ではフミリタス(humilitas)、日本語でいう謙遜に当たるものです。」と、この言葉の元となったラテン語を紹介して、そして続けて、この語に加えたトマス・アクィナスの含蓄について話している。

「日本語でいう謙遜とは、謙る、自らを下に位置づけるというイメージだと思いますが、トマスがフミリタスについて語るときには、それは自分のありのままの姿を認めることだというのです。というのも、過度にへりくだるような人がいるとき、むしろこの人は自分のことをなにか特別な存在だと思っているのではないか、という不自然な印象を多くの場合我々は抱くのではないかと思います。ある程度何かの分野で能力を発揮しているような場合、その能力を自身で認めることこそが、かえってフミリタスだという捉え方もあるのですね。」

 ここには、自分を実際よりも低く見せようとする謙遜という作為をかえって悪徳とみなしたギリシア人の気質から遺風が吹いている感じがする。トマス・アクィナスがキリスト教神学とアリストテレスを中心としたギリシア哲学との融和を試みた人物であることを思うと、なおさらトマスのフミリタスという語の捉え方は、ギリシア人の謙遜に関する考えとあながち無関係ではないような気もする。

 なにはともあれ、過度な謙遜がその人間へのある不信感を抱かせることになることや、ほんとうの謙遜とは自らをあやまたず認識することにあるという考えはある一定以上に普遍であることはたしからしい。

外さない文春学藝ライブラリーの田中美知太郎『ロゴスとイデア』と若松英輔・山本芳久『キリスト教講義』

蛇足

 しかし、自己を正しく見つめて、過不足なく言葉で表現して、あるがままの自己の状態にあぐらをいるだけではまだ十分ではないのだ。なぜかといえば、美知太郎は、わたしたちが口だけの人間を軽蔑していう「言うは易く、行うは難し」という言葉について、プラトンが別の言葉で、「行いは言葉よりも、真実在へ接近する程度が少ない」というふうに言い表していることを教えてくれる。つまり、行いがたどり着けない高き貴い事物へも、言葉であれば至ることができる。それをわたしたちは理想と呼んでいる。それで、美知太郎は

「すなわち完全な正義を実地に行うことは、これをロゴスだけで把握するよりも難しいというのは、別の言葉でいえば、また完全な正義はロゴスの上に実現され得ても、行為の上に実現されることは困難であるというのに外ならない。しかるにわれわれは、模範とすべき完全な正義無くしてはどこに行うべき正義の拠りどころをもつことが出来るであろうか。われわれはそれなくしては正義を行うことができないのである。」

とか

「われわれはむしろ実現可能のいかんを問わず、高き高き理想を語らねばならぬのである。プラトンは自らのこの立場を、最も美しい人間はいかなるものであるかの理想(パラディグマ)を描く画家に比している。かかる画家にとっては、そこに描かれたような美しい人がこの世に果たして存在するか否かというようなことは問題にならない。むしろこの世の人間がこの美の理想によって裁かれ、」云々と言っている。そして、

「言行の不一致を恐れて、ロゴスをいつも自己の現実にのみ縛りつけておくようなことは、決して人間的なことではなく、むしろ悪魔的とでも呼ばるべきことに属する。なぜなら、そこではロゴスが従となって、行為が主となり、」云々、と言う。

 つまり現状を正確に見極めているだけで満足しているのは、あぐらをかきながらあぐらをかいているなあと思っているにすぎなくて、怠惰なだけだ。それも立ち上がって働かなければならないのにである。飛び立つ理想を追いかるために、わたしは立ちあがらなければならない。しかし、立ち上がってみても、長いあぐらで痺れた足では追うことはできないで、理想はどこまでも遠くへ飛んでいってしまうから、諦めてしまって、またぞろあぐらをかくということになる。

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