貧しさの二相

 呑みの場で、「びんぼうしょう」という言葉が響いてきて、わたしはそれで貧乏症と頭に浮かんだ。それは、各々がどのように働いているかという話のなかで、ある自営の人が休みをとっているのかと問われ、「だいたい少しでも時間があれば、なんかしてしまうね」と返したのを受けて、誰かが「それはもう貧乏症ってやつだね」とやじったのだった。それでわたしはワーカーホリックというのが頭にうかんで、この横文字に引っ張られる形で貧乏症と言ったのだと聞き誤った。
 もちろん貧乏性で、病気ではなく、さがを言いたかったので、わたしは勝手に、働き者に対して病人扱いだなんて酷いことを言ううやつだと、わずかに憤りを感じていたのを恥じた。しかし、勤勉をして貧乏性というのもまだ酷いことだと思われて、それがどうしてだかわたしには掴みきれずに、ひとしきりぼんやり考えてしまって呑みの場がしらけて家に帰っても、酒が抜けてもこの問題は頭の中に居座った。

 勤勉が貧乏性といわれてしまうのは「貧乏暇なし」というのの連想からだろうか。これをひっくり返して、暇なく過ごす人は貧乏であると決めつけているとしか思えなくて、それはわたしには納得がいかなかった。わたしは貧乏で、しかし暇なしどころではなくて、むしろ暇だから。なぜかといえば貧しさには実は二相あって、暇な貧乏というものもあるのだ。

冬の朝

 昔観た『人生フルーツ』という、楽しく暮らす老夫婦に取材したドキュメンタリー映画で、平屋の脇の菜園のそこここに栽培品目が書かれたかわいい黄色い板があった。それにまじって、色々な本からの引き書きが画角の隅にひっそり映っていて、その一つにベンヤミンのがあった。「願い事を一つ、叶えてくれる妖精が誰にも存在しています」

 これは『1900年頃のベルリン幼年時代』の「冬の朝」という短文の書き出しで、おそらく津幡夫妻は「冬の朝」を最後まで読んではおるまい、なぜかといえば、かわいらしい幸福に満ちたこの言葉はじっさいには大人の苦いアイロニーなのである。というのも、

「何であれひとつは望みを叶えてくれる仙女は、誰にとっても存在する。しかし自分がじっさい何を望んだかを思い出せるひとは、ほとんどいない。それゆえ、ほんの僅かなひとだけが、自分の生涯のなかでその望みが叶えられたことを、後年になって再認識することになる。ぼくには、ぼくに叶えられた望みがわかっているが、それが童話に出てくる子どもらの望みに比べて賢明なものだった、という気はない。」

 とはじまる、幼少のころの冬の朝の思い出を語った文章は、いかにしてこの幼くあいらしい願いごとがさみしく成就されてしまったかでむすばれるのだから。

「冬の朝早く、六時半頃に、ランプがぼくのベッドに近づいてきて、子守りの娘の影を天井に投げかけるのだったが、ぼくの望みは、そのランプとともにぼくの心のなかに育っていったものだった。暖炉に火がつけられると、やがてその焔は、石炭が詰まっているのでほとんど身動きもできない小さな引出しに押しこめられた、とでもいうかのように、ちらちらとぼくを眺めた。けれども、ぼくのすぐ身近に居着き始めたその火は、ぼく自身よりもずっと小さくて、そのために娘が、僕に対してより以上に深く、それに向かって身をかがめねばならないほどだったのに、じつに巨大な力をひそめていた。火の世話を終えると、娘は焼き林檎を作るため、林檎を一個暖炉のなかへ置く。そのうちに早くも、暖炉の前面の格子からちらつく赤い火影が、床板の上にはっきり浮きあがって見えるほどになる。するとぼくはもうくたびれてしまい、この映像を見るだけで十分に一日分の疲れがでるな、と思うのだった。この時刻にはいつもそうだった。ただ子守りの娘の声が妨げになって、冬の朝がぼくのためにいつも用意してくれていたこと、ぼくの部屋のなかのさまざまな事物となじむことに、ぼくは専念しつづけるわけにはいかなかった。ブラインドがまだ捲き上げられないうちに、ぼくはまず一回、暖炉の扉のかんぬきを横にずらして、暖炉のなかの林檎に、手探りの手を伸ばしてみる。林檎の香りはまだほとんど変わっていないことが多い。そこでぼくは辛抱して、泡立つような芳香がしてきたなと思えるまで、待っている。この芳香は、クリスマスツリーの芳香にすら立ちまさって、冬の日の一段と深い、一段とひそやかな密室から泡立ってくるのだ。こうして暗色になった暖かな果実が、林檎が、遠く旅してきた親友のように、なじみ深いが変貌した姿で、ぼくの手に握られる。その旅は熱した暖炉の暗い国を経てきた旅であり、林檎はそこから、その日がぼくのために用意していたすべてのものの香りを、手に入れてきてくれていた。だから、林檎のつややかな頬で両手を暖めながら、いつもぼくに、それにかぶりつくことへのためらいが忍び寄ってきたのは、べつだん不思議なことではなかった。林檎がその芳香に包んでもたらしてくれた仄かな知らせが、ぼくの舌への道でたやすく失われてしまうかもしれない、とぼくは感じたのである。その知らせは、しばしばぼくを勇気づけてくれたので、ぼくは登校の途中でもなお、それに慰められたものだった。とはいえ、学校に着いてぼくの座席に触れると、いったんは霧散したと思えていたぼくの疲れは、とたんに10倍にもなって戻ってきた。そして、それとともに、心ゆくまで眠れたら、というあの望みが。この望みを、ぼくは千遍も望んだろうが、後年になって、この望みは現実に叶えられることになった。しかし、ぼくが勤めぐちと確実なパンを得ることにかけた期待が、いままでいつも、そのたびごとに空しくなったという事実のうちに、あの望みが叶えられているのを認識するまでには、長い時間が必要だった。」

 つまり、定職が得られないでいる度重なる失望が大人になったいまでもベンヤミンに毎朝心ゆくまで眠ていられることを保証していて、うんと寝ていられたらという幼少の願いが叶ったことはけして喜びではなくて、翻ってむしろベンヤミンは、この幼い願いが叶えられずに、毎朝、勤めに出ることのできている人々を羨んでいる。
 ほんとうの安眠や生活を続けていくためには働かなければいけなない、働いて稼ぎを得なければいけないのだ、という思いが頭を占領しているのだから、仕事のないために心ゆくまで寝ることができたとしても、朝遅く寝床を抜けでるベンヤミンの足取りは重く、こころは沈んでいたに違いない。
 日々の糧を得られる安心のないベンヤミンは、貧乏暇なしなのではなくて、ベンヤミンの貧乏は暇そのものだった。そしてその暇は焦燥にかき乱されていた。

 はたちそこそこで、わたしはすでに、このさきずっと豊かな稼ぎを得られることはとうてい望めないことを知っていた、自分には高所得に値する能力もそれへの意欲も欠いているために。それで、「冬の朝」を読んだときには、ああきっとベンヤミン同様の願いをわたしも叶えることになるのだ、そして、甘やかな幼いこの願いの成就がもたらす苦味をわたしも味わうことになるのだと理解した。そのときにはすでにわたしのもとに妖精、あるいは仙女は訪れていたのだった。

「冬の朝」収録の『ベンヤミンの仕事I 暴力批判論』、「ものくさ太郎」収録の花田清輝『もう一つの修羅』、メルヴィル『代書人バートルビー』。さみしいことに全部絶版。

ものぐさ太郎

 ベンヤミンとちがって、自分から暇な貧乏へと向かうようなこともあって、向かうといってもこの際にはなにかしらの行動を起こすのではなくて、むしろ行動しないことをする、つまり怠ければすむのだが、とにかく日本にもこの種の貧乏人はいて、たとえば、御伽草子をひらけば物くさ太郎が寝転んでいる姿が目にはいる。立派な家がほしいものだと夢想しながら、実際には竹を四つたてて柱とし、薦を被せて屋根としただけの小屋をすみかとして、「もとでなければ商いせず、物をつくらねば食物なし。四五日のうちにも起き上がらず、臥せり居たりけり。」という人物である。
 餅を5つもらえば4つ食い、残り一つは手すさみに遊ぶほどの暇人で、しまいにはその餅を取り落としてしまう。それさえとりにいくのをものくさがり、いずれここを通りかかった誰かがとってくれるだろうと寝ころんだまま、犬やカラスが狙うのを竹の竿で追い払ってすごすにいたっては、貧乏すぎてよほど暇であると見える。

 そしてこの人物をだしにして「いつもゴロリと寝ころんでいるといえばいかにも怠け者のようであるが、いつもポンと自分自身を投げだしているといえば、いくらか実存主義に似ているではないか。怠けるということと、働かないということとは、ハッキリ、区別しなければならない。前者は不決断のあらわれであるが、後者には、断乎たる抵抗の精神がみとめられる。」と、花田清輝は「ものぐさ太郎」という小論で、この寝ころびの精神の解明を試みている。
 「ゴロリと寝ころぶという精神を、もっと納得のいくように説明するためには、もっとあくせくと働かなければならないのかもしれないが––––しかし、わたしは、むしろ、ゴロリと寝ころぶという行為の方をえらぶことにしたい。」と見事なうっちゃりで締めくくられるこの文章をつらぬき、そしておそらく、花田が「もっと納得のいくように説明」したいと考えているところの、働かない即ち抵抗、という理論の線はわたしには納得のいくものではない。

 それでも、ものぐさ太郎が「ゴロリと寝ころぼうとおもっても、ぜったい寝ころぶヒマのない、大衆のあこがれの象徴だったのである、」という指摘にはわたしも同意する。

バートルビー

 そして、アメリカ近代に、この怠けもの界隈に巨星が誕生した。暇とは、せずにすめばありがたいことをせずにすむことでもあって、たしかにありがたくて、
「せずにすめばありがたい」というこの魅力的なことばこそ、この偉大な労働の抵抗者、バートルビーの常套句だ。

 「バートルビー」という馴染みのない響きはメルヴィルの小説の題名で、またこの小説の主人公でもある。かれの行動は名前よりもずっと奇妙なものであって、勤め先の法律事務所でふいに仕事を拒む。それだけでなく、与えられる仕事を「せずにすめばありがたいのですが」と拒みながらバートルビーは事務所に居座り続け、やがては監獄に収監される。はては食事を摂ることさえ、しないほうがいいのだと言って拒み、ついには餓死する。

 このへんちくりんな小説の意味するところを読み明かそうと、ブランショ、ドゥルーズ、デリダやアガンベンといった名高い人々が悪戦苦闘している。アガンベンの「バートルビー 偶然性について」読んでいると、いやいや、「バートルビー」はそんなに難しく考える話なのかなと思うことがしばしばあった。

 たしかに、難しく考えようと思えば、豊かな含意に満ちている「バートルビー」からはいくらでも新たな批評をうみだすことができるだろうが、すなおに読めば、おおかれすくなかれせずにすめばありがたいことをしなければならないというのが働くということであって、「バートルビー」はこれを拒んでみることの寓喩だろう、だから、その帰結が死であるのは当然である。

 花田ならば、バートルビーに究極の抵抗の姿を見いだすかもしれない。しかし、働くことも働かないことも生きていくためだから、抵抗の終極が絶命であるなら、とうてい生身の人間の所業ではありえない。
 ベンヤミンの思い出が逆説的に説くように、もっと寝ていたいのにと思いながら働くために朝早く起きたり、バートルビーのことばだけを転用して、「せずにすめばありがたい」と思いながらせずにすめばありがたい仕事に勤めるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 わたしもいつものように話がこんがらがったところで、貧しさと暇か暇でないかというこの話をうっちゃらなければならないが、しかし、花田のように、ゴロリと寝ころぶという精神の解明よりも実際にゴロリと寝ころぶ行為を選ぶ、という惰性のためではなくて、むしろ多忙のためなのである。まさか自分がこんなに毎日勤勉に働くことになり、暇な貧乏から貧乏暇なしになってしまうなんて。

草刈怠寝太郎

 花田清輝が物くさ太郎を「年来の理想的人物像」としていたように、わたしにもお気に入りの人物がいて、かれに名前はなくて『農業図絵』に描かれている。古来、日本の農村では家畜飼料や敷料、また草肥や堆肥の材料として、そこらじゅうの草が刈りとられ、さまざまに利用されていた。だから、農作業の通年の様子を描いた『農業図絵』のなかにもひんぱんに草刈の絵が出てくる、その一葉で「毎日草刈」と記されたものに、わたしの敬愛する草刈怠寝太郎がいる。
 かれが草刈を怠けている様子にはいかにも精神の充足がある。

『農業図絵』の六月の三枚目「毎日草刈」。

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