塗ることと塗らないこと

塗ること

 多和田葉子は『溶ける街 透ける路』の「ベルリンⅠ」で、ある一つの思い出について記している。

 新しい家に引っ越すとドイツ人はさっそく壁にペンキを塗り始める。もし壁が傷んでいれば壁紙を貼るところから始める。ごく普通の文学部の学生がペンキを買ってきてローラーや刷毛を器用に使って壁を塗る。前に住んでいた人が開けた穴がまだ壁に開いていれば、セメントをこねて塞ぐ。二十三年前、ドイツに来た時、これには驚かされた。壁などは普通の人間のいじれるものだとは思っていなかった。
 三月初めに、二十三年暮らしたハンブルクからベルリンに引っ越した。新しい住まいを見たドイツ人の友達は口を揃えて「壁にペンキを塗るべきだ」と言う。わたしの目には壁はそれほど汚れているようには見えない。「壁をきれいにするためだけではなく、壁を塗ればすぐに自分の家だという感じがするから」と言われて、なるほどと納得した。

多和田葉子『溶ける街 透ける路』

 なるほどたしかに、自分がつけていない汚れや傷は、誰かの家だったときの痕跡で、自分の家という感じから遠ざかる。それを消すには、その他人の痕跡の上に自分の好みの色で塗り重ねてしまえばいい。しかし、と思う、そう簡単に自分の家という感じは得られるものではないのではないか。
 そういえばいまの私たちの家には塗る壁はないのだった。田の字に配置された四つの和室を仕切るのはすべて襖戸である。黄ばんだ襖を塗り直せない私たちには、ずっと自分の家という感じがしないまま暮らすしかないというのだろうか。
 事実としては、そんなばかなはずはなくて、越したときのままの黄ばんだ襖であっても自分の家という感じがする。もしかしたら、引越したての忙しい掃除の際にあけてしまった2つの穴という隠しきれないわたしの痕跡のおかげかもしれないが。

 この家に越して徹底的に掃除したあとに、不意に部屋の隅からコシのない白髪などが現れたときには、ああまだわたしの家ではないんだ、というような、なんともいえないみじめな気持ちになることがあった。しかし、いま床のそこここに落ちた、太くて艶のある長い黒髪が曲線を描いているのや、床にこぼしてしまった濃い目のコーヒーがつけた拭いきれない染み、黄ばんだ障子紙を張り替えて真っ白になった障子紙に自分で開けた小さな穴を見るときには、自分の家という感じがする。

 「壁を塗ればすぐに自分の家だという感じがする」というときの、すぐにという即効性はなんだか疑わしい。壁を塗らなくても、自分の生活が刻む痕跡は増えていき、しぜんとわたしの家という感じになっていく。そうしてじょじょに馴染んでいくほうがずっと気もちがいいものなのではないだろうか。
 わたしに自分の家だという感じをさせるものは、どれも私たちが引っ越してくる前に住んでいた人々のものでもあって、それでときどきは前の住居人が暮らしていた様をも思いやることがある。だからといって自分の家という感じがなくなるということはない。かえって、だれかが住んでいて、いま私たちが住んでいる、ということが、いまは自分の家だという感じをよりあたたかいものにしているともいえないだろうか。

本当の感じ

 痕跡が愛着を増すよすがとなるものは他にもいくらでもあって、美味しいレストランでシャツにつけてしまったソースは、わたしとシャツとがその楽しいレストランのひと時を共に過ごした痕跡となって、いわば記憶を共有することでわたしとシャツは親しみを増すことになる。そうでなければ、

 グレイのジャケットに見覚えるのある コーヒーのしみ 相変わらずなのね

 という「真夜中のドア」の一節は響かずに、たんに古い曲の古い歌詞ということで終わってしまう。あるいは近年のファストファッションではお気に入りのシャツでもシミがついてしまえば気に入らないゴミになって、捨ててしまうのだろうか。
 わたしがいまでも愛着している親父からお下がりでもらったダンロップの灰色のVネックセーターの肘にもコーヒーのしみがついていて、これはただの汚れではなくて、親父そのものである。ここからも相変わらずという感じを受ける。テーブルにこぼれたコーヒーに気づかずにその黒い水たまりの上に肘をかけてしまったようにしてできたであろうしみは、これを着た親父がけだるそうにテーブルによしかかる姿を想起させる。そしてそれはわたしの姿勢でもある。

 スイスの一学者の日記が4冊に分けられて岩波文庫に入っている。『アミエルの日記』という。ときどき拾い読みすると、いつか1865年4月11日の日付のついたページが開かれる。

 薄鼠色のプレードの寸法を取って重みを量って巻きつけて見る。山人臭い私の襟巻をそれに取り代えようとしてくれるのである。十年この方遠足の度私に伴い、あれ程多くの嬉しい思い出のみならず、あれほど多くの詩的な冒険を想い起こさせてくれる古い従者は、その燦爛たる後続者よりも私の気に入る。尤もこの後続者は親しい友達の手から贈られたものである。しかし過去の代わりになれるものがあるか。我々の生活の目撃者は、たとひ生命のない物でも、我々にわかるような言葉を持っているではないか。グリヨン、ブゥジ、ヴィラール、アルビスブルネン、リギ、シャモセール、ロシュムッス、ピプリュヌ、その他数々の場所が、この布の編目のうちに何かしらを残している。……この布は私の内密な伝記の一部である。
 とにかくプレードはこの旅人の持つ唯一しゃんとした衣類、自分以外の者にも役立ち婦人達にも種々様々な用を務めるものである。幾度も幾度も私のプレードは女の人の為にクッションとも肩掛けとも外套とも屋根ともなって、山の生活の宿りにも歩みにも読書にも談話にも、放牧地の湿った芝草の上や硬い岩の座席の上や樅の陰の冷たさを防ぐために役に立った。如何に多くの愛すべき微笑みを、それが私に得をさせたろう。その鉤裂きの穴に至るまで何も彼も私には懐かしい。全く、傷ついたこともそれが直ったことも話の種である。その傷痕は勲章である。

 別に汚れたり破れたりしていなくてもいい。吉田健一は『甘酸っぱい味』の「新しいもの」という文章の中で、新しいほどいいのは魚と水くらいだとして、反対に古いもの、というよりは古くなっていくものについて話を進めるなかで、「男の背広など、作ってから一年は着た後でなければ本当に感じが出ない。」と言っている。
 昨年、渋いセットアップを古着屋で見つけて、いくつか買ったが、着る機会が少なく、まだ背広の形をしたものでしかない。そのうちの一つに太い畝のコーデュロイで仕立てられたものがあって、どうせフォーマルな場で着る機会なんてないだろうからくたくたに着込んでやろうと、年末年始、彼女の実家への帰省の折に来ていって長いこと行動を共にした後で、古着屋を再訪すると店員がは「あれから結構履いているんですか?いい感じですね。」と喜んでくれた。たしかにこのコーデュロイは本当にわたしの背広という感じがする。

吉田健一著作集第7巻『日本に就て 甘酸つぱい味』と『アミエルの日記(二)』

塗り重ねていくこと

 その古着屋の試着室に木のスツールが置かれている。
 別に特別かわったものではない。丸い座面が末広がりになった四つの脚に支えられている。あまり品がいいとはいえない色合いの焦げ茶色に、ペンキらしい塗料で厚塗りされていた。座面の縁とか脚の末のあたりは塗料が剥げて生木が見えていた。
 アメリカの農家の納屋にでも置かれてありそうな雰囲気で渋かった。
 店主はそれを、アメリカだったか、ヨーロッパだったかの、古いものだと言って、それから興味深いことを教えてくれた。

 「向こうは、塗装が剥げてきたら、新しく塗料で塗り重ねるんですよね。だから、こんな椅子は使っていって剥げてくると、そこから前に塗られた別の色が現れたりして面白いんですよね。」

 たしかによく見るとその椅子も、生木が見える場所の他に、焦茶よりも薄いきつね色がのぞいている箇所もいくつか見えていた。なるほど、職人が塗ったとは到底思えない雑な塗り方で塗られていたのは、塗料が剥げるたびに使っていた人が塗り直したからだとすれば納得がいった。塗りも厚いところや薄いところがあって、そのために剥げている箇所もすくなくない。塗料もあまり感心しないたぐいのものが使われていて、のんしゃらんに塗られていてもその椅子がいい感じになっているのは、だれかがそれを塗り重ねていったからで、それが愛着のためにだったことを思うと、うなずける。

塗らないこと、白木について

 こうなると多和田葉子のベルリンの思い出を否定してしまったことは訂正しなければいけないかもしれない。あるいは、ここでにわかに風土、文化の違いというのを持ちだすのは、これは安易にすぎるだろうか。つまり欧米では椅子も塗るし、家の壁も塗るが、日本では、家に塗るべき壁はあまりなく、椅子は塗らないと。
 しかし塗る塗らないは風土の違いで片付けられても、塗るにせよ塗らないにせよ、それによって親しみが生まれるということにかわりはなくて、話の筋はまだここにある。
 それでも塗る塗らないの違いになにかしらの示唆はあるかもしれなくて、たとえば秋岡芳夫の『新和風のすすめ』にはこんなことが書いてある。

 戦後すぐ、占領軍が上陸して、日本の住宅に住んだことがあります。そのとき、まず日本人がびっくりしたのは、畳の部屋に靴をはいたまま上がってきたことと、床の間から障子の桟までペンキで塗ったことです。ひどい場合には庭石にまでペンキを塗りました。
 この住感覚の違いを、日本人は一種の嫌悪感を持ってながめるしかなかったものです。占領軍は日本人にとって「不思議な人たち」でしかなかったのです。
 しかし、欧米人にとっては、靴のまま部屋に入るのもあたりまえだし、庭石にペンキを塗るのもあたりまえ。日本人には考えられないことですが、欧米の家の庭には木の柵があり、年中、色の塗り替えをやっているわけですから、その延長で、庭石にも自分の好みの色を塗ったとしても、なんの不思議もないわけです。
 そして床の間や建具にしても、むこうでは塗ってない建具が少ないくらいで、塗ることが常識なのです。
 これは欧米人が悪趣味なのではなく、木の寿命を伸ばし、木が傷まないようにする、彼ら流の生活の知恵から来た習慣だと思うのです。どうせ同じようにペイントするならば、好みの色に塗ろう、ということなのでしょう。
 日本人はどうでしょうか。家を建てるのだったら白木。障子なども白木のほうがいい。建具だけではなく、テーブルやお盆などでさえも白木を好みます。
 この違いは、一口でいうならば、日本人と欧米人の木に対する考え方の違い、風土の違いなのです。

秋岡芳夫の『新和風のすすめ』。古い岩波文庫のではなくて秋岡がはじめたモノ・モノというグループが復刊させたもの。素敵です。くわしくはコチラを

 白木というのは、白色の木のことではなくて、塗装を施されていない木材をいう。だから、スギの芯の赤身の材も、キハダの黄色い材でも、ホオの薄黄緑のでも塗っていなければ白木という。白無垢という言葉でなににも染められていない純白の絹織物の美しさが思い浮かんでくるように、白木といえば、木目のあらわれた木板の穏やかな光沢が目に浮かんできて、それだけでなくて、その白木に触れたときの、立ち木に触れたときとはまた違う、優しい手触りも思い出す。そして、このこころよい手触りこそが、塗料を厚塗りしてしまうことで失われてしまうもので、それで秋岡は「手で触れても、寄りかかっても、白木の持つ肌ざわりにはやさしさがあります。そういうことが木に色を塗らないことの基本にあると思います。」と言っている。

 たしかに、塗装されたものを触れたときの、なんというか、触れているものそのものと触れあっている感じはしない、というような気持ちに比べると、白木のたしかに触れているという感じはこっちを落ち着かせるものがある。それでも、古着屋で見たペンキを塗り重ねられた椅子に抱いた親しみがなくなるわけではない。

塗ることと塗らないこと

 塗る塗らないのこの話は、家にせよ、服、椅子にせよ、自分のものであるという感じを巡って進んできた。そして、この感じを得るための方法が、日本と欧米ではどうもことなるらしくて、このほかにもきっとまだまだあるのだ。欧米流にペンキを塗るにせよ、日本風に時間をかけて自分の汚れをつけていくにせよ、犬が片足あげてマーキングすることとなんらかわりない、ただ自分の痕跡を残せばそれでいいのだろうか。
 しかし人間の場合には確実に、というのは犬の気持ちはしらないから、自分の痕跡を残すことでそれが自分のものであるという感じを得るのが、それを愛着しているからという理由からであるときには、それは他人に渡ってからも愛されるものになるのだろう。これは古いものを愛する理由の一つに、かつてだれかがそれを愛したからということがあることを思えば当然のことで、吉田健一は『甘酸っぱい味』のさっきのとは別のところで古着というものについて、「これが古着屋に出る位ならば、少なくともそれまでは持ったという事実の裏付けがある訳であり、又それまで人間がそれを着たのだという由緒もあって、その先どれ位持つかという実用の問題は兎も角、売らずに捨てることはない。」と言っている。古着は他人が着たものだからばっちいと思うか、あるいは「それまで人間がそれを着たのだという由緒もあって」と思うか、という違いが古いものを好むひととそうでないひととの違いで、古いものに親しむということは、それをさらに使っていくことで、それまで人間がそれを使ってきたという由緒に、自分もつらなっていくということだろう。

 だから、前の家主が生活によって汚れや傷をつけた由緒につらなるようにわたしは生活するし、今までの住人が壁を塗ってきた由緒につらなるように多和田は引っ越したらまず壁を塗った。誰か知らない椅子の持ち主は、その前の持ち主か昔の自分かがぞんざいに塗った由緒につらなるようにして椅子をあらためてぞんざいに塗る。犬だけは他の犬のマーキングの由緒につらなるのではなくて、それを抹消するためだけに小便をひっかける。人間の世界にもこういうのがいないこともないが、こんな人間の使っていた道具に愛すべきものはない。

 洋の東西で塗る塗らないの風土の違いがあったとしても、いずれもいいものであって、多和田は壁を塗ることをよしとしたし、わたしや古着屋の店主は塗り重ねられた品のいいものとは言い難いスツールに魅せられた。反対に欧米で白木の虜になったひともいる。

 北欧の家具の神様と呼ばれているハンス・ウェーグナーが作る椅子には、白木のものがあります。ある日本人が彼の白木の椅子を見て、
「これ白木だよ。すぐ汚れてきたなくなるかも」
 といったそうです。それを聞いたウェーグナーが「日本人も変わってしまったなあ」と残念がったそうです。
 ウェーグナーが白木の椅子を作ったのは、「塗った椅子は気持ちが悪い。白木だと、肘をつくにしても背もたれによりかかるにしても、はるかに人間の肌を喜ばしてくれる」から。
「昔の日本人は障子を川で紙をはがし、きれいに洗っていたそうだ。これは素晴らしい」と、彼は「日本人が障子を洗う」ということをヒントに、椅子を白木にしてみたのだそうです。彼はいまにたくさんの椅子を、塗料を塗らずに白木で仕上げています。
 ところが日本人は、
「椅子の神様ともあろう彼が、なんでこんな椅子を作ったのだろうか?」
 といぶかるわけです。白木の良さが、日本人にはわからなくなってきているのです。
 ウェーグナーが僕にいいました。
「僕の椅子が汚れて、困っている日本人がいたら、こういってください。
 合成洗剤はだめだけれども、粉石鹸をぬるま湯で溶いて、そのなかに布をつけ、軽く絞って拭いてください。
 そうすれば手垢などで汚れたところがきれいになります。僕の椅子は、日本人がかつて洗いながら使った障子のようなすがすがしさを取り戻し、だんだんきれいになります」
 日本人が忘れていた白木にたいするするつき合い方の基本を、なんと北欧の椅子のデザイナーがいまやっているのです。ということは、「白木はいい」という感覚は、けして日本人特有の感覚ではなく、世界共通の感覚ではないのか、ということになります。
 そして残念なことに、日本人が木とのつき合い方を忘れ、建具は洗わないし、廊下は拭かない。木のものを使いこむ楽しみも忘れかけています。

 さきにも引用した秋岡芳夫が1989年に書いた『新和風のすすめ』の一説である。

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