猪肉の猟師風

解体まで

 突然送られてくる同じ構図の写真にも慣れてきた。代わり映えのしない画角の中央に置かれた檻の中身だけが違っているが、それも檻の中をうごきまわるうり坊の数が違うだけで、逃げようと暴れて泥まみれになった体にはほとんど縞もみられない。現場に行き、実物に近づいてみてはじめてうり坊とわかる。縞の有無というよりもうり坊と成獣とではまとっている雰囲気が、人間の子どもと大人で顔つきが違うように、違っていて、うり坊はわたしを気圧すということは決してない。
 はじめのころはうり坊でも、罠にかかると喜んで駆けつけ止め刺しした。そして、その場で放血させてから解体のために水たまりへ急いだものだった。うり坊のちいさなからだは、骨から肉を剥がすのが面倒で、骨つき肉として楽しんだ。
 ウリ坊を解体しながら、成獣でもうり坊でもどうせ解体は面倒なこと、どうせなら大きいのを捌いて一度にたくさんの肉がほしいもんだなあ、とかなんとか、わたしは檻を管理しているわけでもないのに、檻の管理者である友人と話したりしていた。秋も深まったことだし、脂を溜め込んだ、丸々としたやつ獲ってくださいよ、と他人事のように言っていた。

 大型でも解体できるような暇なときにはウリ坊しかかからず、おもしろくないなあと思っていながら、めずらしく忙しいときになかなかの大きさの成獣がかかったと連絡をもらった。荒れた竹林を背景にして、檻の中に顔のでかい四つ脚が窮屈そうに屈んでいた。
 わたしが近づくと檻をぶち壊そうと動き回ったが、檻が狭すぎて助走がとれず、あまり迫力のある突進はできないようで、それが歯痒いわけではないだろうが、檻の格子網をしがんでいた。獣が檻を突破することはなかったが、振り撒いた悪臭は檻を貫いてわたしたちの鼻を刺した。オスの成獣そのものの体臭か、檻に囚われて逃れられないことによるストレス、あるいは、わたしたちに殺される恐怖からか、ウリ坊とはちがう強烈な臭いが漂った。
 いつも通り電気槍を突き刺すと、しばらくして息絶えた。臭いは消えずにいつまでも残っていた。
 あいにく、解体する時間がなかったため、世話になっている地元の猟師にあげてしまった。バンに積んで運んだ。30分ほどのドライブで、洗っても洗っても1週間ほどは車から悪臭がとれなかった。

 大型の獲物をつかまえながら解体の時間がなくみすみす手放した一週間後くらいに、さらに大きなイノシシがかかったと連絡をもらった。翌日、昼過ぎに、4人の猟師が集結した。140cmほどのぶくぶくに太ったオスには小さめの檻は狭すぎて、助走どころか、体の向きをかえることさえできずにいた。暴れ回るわけではないのに、電気槍が思うように刺さらず止め刺しに苦戦した。タヌキやサルなどの小動物のように、皮が柔らかいため、槍先が逃げてしまうというのではなく、確実に肉を捕らえるのだが、脂肪の鎧が硬くて槍先が刺さらなかった。ようやく耳下の首筋に槍が潜った。数秒後には、からだは痙攣をやめて、さらに数秒後に瞳孔が曇った。4人の大人で一本ずつ脚を掴んでようやく持ちあげられる重さだった。
 あいかわらず忙しかったが、この間の獲物をみすみす手放した口惜しさもあった。解体することにした。

 大きなブロックにしたところまでだけでも8時間ほどかかって、帰るころには日をまたいでいた。黒いビニール袋に入れた肉を冷蔵庫にぶち込んで寝た。

精肉

 獣毛をとりながら、血で汚れた表面を薄く削いで脂身を綺麗にし、赤身の膜を剥いだ。首裏から肩、背中にかけての脂身は二層になっていて、外側は非常に硬い。いわゆるヨロイという部分で、解体を教えてくれた方曰く、わしらは捨てるという部位だったが、横着してそのまま残した。おそらくわたしの槍を弾いたのもここで、この硬さならうなずける。
 後ろ足のもも肉を綺麗にしていると、肉のあいだにストローくらいの管がとおっていた。まさかとおもいながら、慎重に取り出そうと苦戦する拍子に管の切断面から内容がこぼれて、悪臭がひろがった。取り残された尿道だった。この肉の塊には拭えないけがれがついてしまった。ゴミ袋に投げ捨てて、口を封じても悪臭が漏れて漂ってきた。

「匂いについて」

 悪臭でくらくらする頭が、この間、車から一週間悪臭がとれなかったイノシシを思い出した。あれはきっと体臭ではなくて、自らの糞尿のなかで暴れてからだにこびりついた匂いだったのだ。
 あれはひどかった。車に乗るたびに淀んだ空気が鼻腔を満たして、からだが一気に重くなった気がした。イノシシを積んだあたりを洗っても匂いは取れなかった。気乗りしない車用の香料をフロントの送風口にとりつけてようやく獣の悪臭は、鼻をつく香料という別の悪臭によってまぎれた。というのも、いい匂いはくさい匂いで、無臭こそ最良の香りだから。モンテーニュのエセーの第1巻 第55章は「匂いについて」という短文で

「たとえばアレクサンドロス大王がそうだけれど、ある人々の汗は、かぐわしい匂いを発散したといわれる。それはめったにない、特異な体質によるものらしく、プルタルコスなどが、その理由を探求している。けれども、体のしくみというのは、ふつうはこれと反対であって、もっともいい状態はなにも匂いがしないときなのだ。もっとも澄んだ息をかいだときの気持ちよさにしても、健康な子供の息のように、いかなる匂いも感じられない場合に比べるならば、優れたところなど少しもない。プラウトゥスが《女は、なんの匂いもしないときが、もっともかぐわしい》というのも、同じ理由なのだ。いい匂いの香水をつけていると、逆にその人をうたがって、その部分の生まれつきの欠点でも隠すために使っているのではないかと思ったりするけれど、もっともな話である。昔の詩人たちのいう、「いい匂いは、くさい匂い」という警句にしても、ここから来ている。」

という段があって、昔、初読したときにもっともなことだと感心した。

モンテーニュ『エセー』。せっかくだから最近買った白水社エセーを引用した。

CERDO A LA CAZADORA

 無臭こそ最良の香りといいながら、モンテーニュ自身は、「かぐわしい匂いに包まれているのが好き」で、特に「わたしにとっては、もっとも単純で自然な匂いこそ、もっとも心地よい。」と言っている。これも同感である。
 それから「いろいろな料理の味を、異国の香料を使って引き立てることができる料理人の技術を、自分なりに習得しておけばよかったとつくづく思う。」といい、チュニス王の料理人の技術を例に引いている。それは、「できあがった料理が切り分けられると、食堂のみならず、宮殿のあらゆる部屋に、さらには近隣の家々にまで、なんともいい匂いが立ちこめて、しばらくは消えることができなかったのである。」

 わたしの住む家もわたしにとっては宮殿であれば、この木造の宮殿をなんともいい匂いで包みたいとねがった。そもそもわたしはいわゆるイノシシ特有の匂いというものにまだ慣れていなくてあまり得意ではないから、なるべく、庭のハーブ、イノシシに荒らされながらも生き延びているハーブたちを摘んできては、イノシシ肉を入れた鍋にぶち込んで煮た。今回は、オスの成獣の強烈だろう臭いに対抗するに自軍のハーブだけでは心許なくて、異国のスパイスを傭兵として頼むことにした。クローブとナツメグである。

 どうしてわたしの本棚にまで辿り着いたのか不思議な本に『フラガ神父の料理帳』があって、冬になると『亡命ロシア料理』を開きたくなるのと同様に、夏にはこのスペインの料理好きの神父が書いた本に手が伸びる。
 夏も終わり秋も深まるこの季節に開いても、このスペイン料理の本は内容豊かで、”CERDO A LA CAZADORA(豚肉の猟師風)”という料理はわたしを惹きつけた。獲物がかかるのをいまかいまかと待つ心には、いつもこの料理が寄り添っていた。

 使用する香料に、オレガノ、ナツメグ、クローブ、サフラン、パプリカがあった。オレガノは西欧共通の香草として、後の四つはなんとなくいずれもがほかの西欧諸国のものでもありながら一層スペインらしいものに感じられる。中世期にイスラム世界と交渉があって、大航海時代にはスパイス経済の覇権を争ったという歴史をおもえばだろうか。
 サフランはたまたまこのあいだ球根をもらってまだ咲かないでいる。これから手に入れられるものを買うのは、なんとなくもったいない気がするから遠慮して、パプリカ粉もなんとなく端折ってしまった。

 フラガ神父の語るこの料理の概説は以下の通り。

 「豚肉はもも肉でも、ロースでも、ヒレでも予算によって使ってください。
 本来、この料理はハンターの料理で、猪の肉で作ります。私は猟師の友人から猪を分けてもらったとき、よく作りました。
 猪の肉が手に入ったら、まず野生特有のにおいを消すためと、肉をやわらかくするために、左記のつけ汁に2〜3時間つけておいてください。さらに一度、下煮することも大切です。男の料理ですから、じゃがいもや玉ねぎ、にんじんは切らずに丸のまま入れてしまってもいいのです。
 この料理からはおいしいスープがとれますので、中身を出したあと、こして、小さく切ったスパゲティを加えると、もう一品作れます。
 スペイン語で漁師をカサドール(cazador)と言います。日本のカサドールは必要以上に捕りすぎだよ。」

 猟師風というのはいい。別にわたしはなにも思わないけれど、解体の指南役が捌きながら、わしはジビエって言葉は大っ嫌いです、ジビエっつうのは猟師が自分で獲った獲物を自分で料理して振る舞うことだ、狩猟肉を買って料理してなにがジビエだ、云々と言っていたのが頭に浮かんできた。言葉の流行は流行り病なんかよりも無症状のまま頭を麻痺させて、念仏教に改心させてしまうからタチがわるいことを考えると、流行には引っかからない猟師風ということばはのんしゃらんな雰囲気をまとって一層すてきに響く。ジビエは清潔なキッチンでしか料理できない気がしてわたしには到底つくれない思いがするが、猟師風ならどんなに汚れた台所でもつくれて、だからわたしもつくった。

猪肉の猟師風

 作り方は簡単。猪肉はブロックに分けて、オリーブオイル、レモン汁、オレガノ、ローリエを混ぜたつけ汁に2、3時間つけておく。じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、玉ねぎを適当に切っておく。
 肉をつけ汁から出して、オリーブオイルを敷いたフライパンで両面焦げ目をつけるくらい焼く。圧力鍋に、オリーブオイルを敷いて玉ねぎを炒めて、透明になったところで、ねぎを加えてさらに炒めて、塩こしょうをする。
 白ワインとハーブ、スパイスを加えて、野菜と、肉、肉のつけ汁もいれ、具材が浸るくらいに水を加えて、圧力を加えて15分ほど煮る。フラガ神父の助言の、猪であれば一度下煮するというアドバイスは無視する。火を止めて、圧力が下がるまで待つ。
 食卓に出すときに再びあたため、味を整える。

 圧力鍋の蓋を開けたときにまっさきにワインが香ってきて、それに肉の食欲をそそる匂いが追いついた。

 味も申し分ない。イノシシの硬い赤肉を噛むと肉汁と癖のある匂いが滲み出てくる。うまい。脂身は旨みがあって甘い。ヨロイは、ちょっと、馴染まない食感で、これはこれで食べるか使うかするといいかもしれない。

ああ、ようやく甘い脂身をまとったぶくぶくのやつを食えてよかった。ああくったくったという満足感が残った。皿にはスープを飲みつくしても、すくいきれなかったオリーブオイルとイノシシの脂身がこびりついていた。

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