『シルヴェストル・ボナールの罪』の香り

 「拉芬陀」

 わたしに西洋本草学の魅力をおしえてくれた文章に林達夫の「拉芬陀」がある。この10頁にも満たない短文は

 さ、これはあなた方の花。ホット・ラヴェンダー、はっか、きたちはっか、マヨラナ草

 というシェークスピアの『冬の夜ばなし』のなかの一節を引用してはじまる。拉芬陀とはラヴェンダーのことで、坪内逍遥がここでのホット・ラヴェンダーを「香の高いラヴェンダー」と訳していることに対して、林達夫は、「芳香の強いという意味では、西洋人はsweetに当たる言葉を何にでも好んで冠するのが常のようである」としてhot lavenderを「香の高いラヴェンダー」とするのは適訳ではないのではないかと指摘する。そして、シェークスピアがsweet lavenderとはせずに、わざわざhot lavenderとした背景を西洋のフォークロアの内に求めていく。林達夫の博学な探求を端折らせて結論を言うと、病気のcoldに処方するhotな草花という意味で、hot lavenderも理解しなければならないとしている。
 そして、薬草としてのラヴェンダーから香草としてのラヴェンダーへと話はうつる。

 名作品の邦訳を引用しようと思って、私は妙にいつも不運なめぐり合わせに会うことを残念に思っている。こんどは香料としてのラヴェンダーのことになるが……私は数日前、庭のラヴェンダーが一面に藤色の花をもち上げている美しい銀灰色の長い花茎をたくさん刈りとって目下束にして陰干しにしている。西洋の習慣では、ラヴェンダーというものは主としてこのような原始的な処理をして、乾燥を終えると、それを束にしたり、袋に入れたりして、linencupboard、洋服箪笥、トイレットなどの中につるしておいたり、あるいはクッションや枕の中に容れておくのである。ラヴェンダーのもとの語はラテン語のLavandulaであるが、この語に由来すると見られている英語の一つにlaundressというのがある。古い習俗の中に生きている旧弊な西洋人にとっては、今日でもラヴェンダーという言葉を聞くと、それが清潔な、爽やかな匂いを漂わせているリネンとどうしても切り離しては考えられない、と書いている人もあった。ところが我々日本人は主として商品の香水やローション、そしてせいぜいのところで匂い袋〈サシエ〉としてしかラヴェンダーのことを考えていないらしい。その証拠となるのが、槍玉に挙げて甚だ礼を失する嫌いがあるが、いつか偶然読んだアナトール・フランスの『シルヴェストル・ボナールの罪』の日本訳である。
 今、手許に原書もその訳本もないが、たしかその第二篇で、主人公であるかの老文献学者が、どこかの田舎に用事で出掛けて、そこの友人の別荘に滞在する場面があった。夜になって寝室に案内されてこの生粋のパリ人が喜びと共に見出すのが、その家の女主人の心尽しになる田舎風なラヴェンダー入りの枕であった。その箇所の日本語訳が生憎なことにラヴェンダー香水をふりかけた枕に化けてしまっていて、パリ人ならぬ私でさえすっかり興ざめな思いをしたことを覚えている。香水となれば、ラヴェンダーなどは安香水の部類に這入る方だし、こんなものをサーヴィスにふりかけられたのでは、あたかも金鶴香水をぷんぷん漂わせている淑女の如く、むしろタブーになってベッドの傍にも寄りつけないのがオチであろうと、シルヴェストル・ボナールのとんだ迷惑顔に同情を禁じ得なかった。洗練され抜いた趣味人がプリミチーフな田舎好みに堪能するところが、その箇所のみそになっているのである。

『林達夫著作集 第5巻 政治のフォークロア』「拉芬陀」

『シルヴェストル・ボナールの罪』

 その槍玉に挙げられている『シルヴェストル・ボナールの罪』の日本訳とはおそらく白水社の『アナトオル・フランス長篇小説全集』の第一巻として配本された伊吹武彦訳のもので、白水社から復刊された『アナトール・フランス小説集』の第一巻として、また、岩波文庫でも再刊行された。しかしいずれも絶版で、よみたいと思いながらも読めずにいた。
 最近、手に入れて読んだ。

 林達夫が興ざめしたという箇所は以下の通り。

 かく話しているうちに、ガブリー夫人は何くれと、預かりものの娘を泊める算段をした。女中がラベンダー香水をふった布団を抱えて廊下を通るのが見えた。
「おとなしい、いい匂いですね」と私はいった。
「だって私たち、田舎者ですから」とガブリーさんの奥さんは答えた。
「ああ、私も田舎者になってみたい。リュザンス村のあなたのように、いつかは私もこの葉がくれの屋根の下で野の香をかいでみたいのです。余命いくばくもない老人に、この願いが大きすぎるというのなら、せめて私の経帷子をあの敷布のようにラベンダーの香りで燻らせてほしいものです」

アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』

 たしかに林達夫の言うように、この箇所のみそである、都人が田舎の良さを古風な香りによって味わう様子には、ラベンダー香水をぶっかけた布団はふさわしくない。ラベンダー香水では鼻につきすぎて、「おとなしい、いい匂い」もくそもない。

 ところで、林のいう箇所の他に、ラヴェンダーの香りが漂う場面がもう一ヶ所ある。

 で、私は主人夫婦に別れをつげて巡礼に出た。一日じゅうお寺や墓地をさぐり、坊様や村の公証人たちを訪ね、宿屋では人足や馬商人と一緒に飯を食い、ラベンダー香水の匂いがする布団のなかに寝て、私はまるまる一週間、あの世の人たちを思いつつも、またこの世の人びとが日々の務めを果たすさまを眺めながら、静かな深いよろこびを味わった。」

アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』

 わたしは一度ここを読んだときには、安宿には陰干ししたラベンダーの全草ではなく、ラベンダー香水の俗悪などぎつい匂いの方がむしろふさわしいのではないかと思い、ここでの「ラベンダー香水の匂い」は誤訳ではないのだろうと考えたが、しかし田舎の素朴さを考えれば、ここでも布団を燻らせているのはやはりラベンダー香水ではなく、ラベンダーの全草であるべきなのだろうか。

左は『林達夫著作集 5 政治のフォークロア』絶版だが「拉芬陀」その他については岩波文庫の『林達夫評論集』に収められている。右はアナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』これも絶版。

パルマスミレ

 それからもう一ヶ所、『シルヴェストル・ボナールの罪』には香りが漂っている、この本で一番美しい場面の一つで、スミレの香りが。

 ずいぶん大きな包みであるがたいして重くはない。書斎へ入ってリボンを解き、包み紙をとると、さあ……何が出る? 薪だ、大きな薪だ、正真正銘のクリスマスの薪だ。しかし空っぽかと思うほど軽い。よく見ると、なるほど二つの切れからできており、留めがねで合わせ、蝶つがいで開くようになっている。留めがねを回す。とたちまち浴びるスミレの花。スミレの花は机の上へ、膝の上へ、敷物の上へ流れおち、チョッキのなかへ、袖のなかへ入り込む。満身これ芳香である。
「テレーズ! テレーズ! 花生けに水を張って持ってこい! スミレの花が届いたのだ。どこの国から、誰の手からか知らないが、きっと香りの国から、優しい人の手からきたに相違ない。老ぼれガラス、聞こえたか」
 スミレの花を机に置けば、スミレの花はその馥郁たる茂みで机をすっかり覆ってしまう。まだなにかある。本だ、写本だ。これこそは……信じられない、が疑いもできぬ……これこそは『黄金伝』、ジャン・ドゥームイエ法師の写本である。《聖母御清め》と《プロセルピナ略奪》の図がここにある。聖ドロクトヴェの伝記がここにある。私はスミレにかおるこの遺物に眺め入った。ほの青い小さな花々がそっとあいだに忍びこんでいる頁を繰っていくと、聖女セシル伝のところに一枚の名刺が見つかった。書いてある名前はトレポフ夫人。

アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』

 この美しい描写によって、牧野富太郎のスミレ講釈を読んだときよりも、一層、ニオイスミレの香りを嗅いでみたくなった。
 贈り物を包むと同時にそれ自体が贈り物でもあるこのスミレを、後の場面で老シルヴェストルは「パルマすみれ」と呼んでいる。それというのも訳注によればパルマがスミレの名産地であるらしいから。

 林達夫は先ほどの『シルヴェスト・ボナールの罪』におけるラヴェンダーとラヴェンダー香水の取り違えを指摘した箇所のあとを、「草、花、匂いがまだ実用と衛生とから少しも遊離していない健康な時代と地方というものが私にはたいへんなつかしい興味を呼ぶし、自分はといえばせめてそういう環境を人工的にわが身辺に作ろうがためにのみ草花を植えているのだ。」とつづけている。

 わたしも同じ思いで草花を植えては、イノシシにほじくり返されている。

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