植物の繊維について、カラムシとかウドとか

 先日カラムシ、あるいはチョマ、アオソ、マヲとよべばいいのか、とにかく、化学繊維はなく、綿もなく、かつて麻さえなかった時代に、繊維を得るための貴重な植物だったところの苧麻が目に入って、ふと皮を剥いてみようかと思った。
 さいたまではあまり見かけることもなくて、こっちへ来てから夏場に雑草が繁るころ、道脇のあちらこちらに群生しているのを目にして、ああ、苧麻がある、と思ってはそれっきりにしていた。時間にゆとりのあるときには、そのたびに苧麻という存在をはじめて知ったときの興奮が蘇った。

カラムシ、チョマ、アオソ、マヲとかなにかしらのもの。

チョマとのであい

 もう5、6年も前のことだったろうか。千葉の友人を訪ねた折、近くの歴史民族博物館を公園代わりにぶらついていた。
 竪穴式住居が目についた。なんとなしに入ってみると、どこにでもある歴史の教科書に載っている原始的な暮らしの絵が立体となって再現されていた。丸太そのままの椅子の上に荒い編み物が置かれていた。
 古代人の人形はいない代わりに解説役のおばさんがいて、なんやかやと説明していくれた。その大部分について忘失してしまったことをいま申し訳ないと思う。

 しかし一つだけ交わした問答を覚えている。わたしは丸太椅子の上の荒い布を指して、麻でつくられたものか尋ねた。おばさんは、その布は麻で織られたものだが、と前置きして、当時使用されていたものはチョマだったと言った。そのとき、カラムシだと言われればまだ驚きはちいさかっただろうに、チョマとかいうへんてこな言葉の不意打ちはしたたかに響いた。ちょまとはなにか聞き返して、カラムシと言い換えてもらってもまだ理解は追いつかないまま、いつのまにか外にでていたおばさんを追うと、おばさんはどこか草むらを指差してあの辺に数本生えていたとおもうけどねとかなんとか言った。

 隣接の博物館でカラムシでつくられた織物の実物を見せてもらった。あまりに粗々としていて現代ではなかなか使い所もないだろうなという印象だった。

柳田國男「木綿以前の事」

 そのころに柳田國男が「木綿以前の事」という短文を読んで、麻に興味をもっていた。
 木綿以前の織物の主な原料だった麻や絹は、一本いっぽんが長い繊維を撚って糸にするために、それで織った布から繊維が抜け出てほこりになることが少なかったが、木綿は短い繊維を撚って糸にしているために繊維が抜けることがおおくあり、そのために木綿は「此世の塵を多くして居る。をかしいことには木綿以前の日本人が、何かと言うと人世の塵の苦しみを訴え、遁れて嬉しいと云う多くの歌を残して居るのと反對に、そんな泣言はもう流行しなくなってから、却って恐ろしく塵が我々を攻め出した。」と言っていた。部屋の隅や本棚の裏で灰色に成長していくほこりに嫌気が指していたから、これはおもしろい主張に感じた。

 もちろん当然生えている麻を見たことはなかった。だから麻からどのようにして繊維をとるのか想像もできずにいた。そんなときに麻より古い時代の繊維の存在を知って、しかもそれがそこらへんに雑草としてあることは、わたしに深い感動をもたらした。

ちょまについて

 それでちょまとはなんなのか。こんなときに植物図鑑というものが便利だろうことに気づいて、先日いい感じのものを古本屋でみっけたときに買えばよかったとおもっても時すでに遅しで、とりあえず貝原益軒の『大和本草』に尋ねると、大麻の次の項に「苧麻(マヲ)」という名前であった。

「葉は紫蘇の形に似て青く大なり。また蕁麻(イラ)の葉に似たり。一根より茎多生す。長したるを刈て皮を取り苧とし布とす。大麻にまされり。冬宿根枯れず春又生す。又実をまきて生す。圃に多くうえて利とす。又野苧(ヤブマヲ)あり。是亦布とす。」

と、過不足なくつたえてくれている。しかも大麻にまされりとはすごい。わたしが見た実物は粗略な紛い物だったのだろうか。
 ついでに小野蘭山の『本草綱目啓蒙』を見てみると、

「他国には苧麻を栽て、ヲをとる。京師には栽るものなし。野生多し。山苧、野苧なり。ノマヲと呼。 / 採て圃に栽れば苧麻となる。」

といっていて、苧麻を、野生の山苧や野苧とは区別して、栽培したものに対して呼んでいる。野生のものをとってきて耕作地に植えれば苧麻となるというが、はたしてほんとうか。野ダイコンのように、栽培種から逸出して野生になって長い年月を経て、すでに別種といえるものになってはいないだろうか。

 しかしさらに「一種ヤブマヲあり。路傍に多し。」と自生する別種も紹介している。苧麻は「高さ四五尺(1.2~1.5m)、葉互生す。形楮葉に似て岐なく、背白し。」であるのにたいして、ヤブマヲは「葉は苧麻より大にして両対し、背に白毛なく、皮に糸なし。」で刈りとっても益ない草といわれる。また「此類数多し。」で、アカソト、越後ではアカワタと呼ばれているものを紹介している。「山野共に生ず。葉の形野苧に似て小し。大さ二三寸、茎赤くして両対す。 / 是には皮に糸あり。奥州にては織て足袋及頭巾に製す。」

 つまり、『本草綱目啓蒙』ではいわゆるマヲにいくつかの分類、あるいは区別されていて、それは『大和本草』にある、野苧をヤブマヲと呼び、これまた布とすという記述より、さらに詳細なものである。まず栽培されている苧麻と、その野生種として野苧、山苧がある。これらノマヲに似て無益な野草にヤブマヲがあり、有益なものにはアカワタとかいうものもある。

 ところで、道ぶちなんかで、あチョマだ、と思って近づいてみると、すこしちがうらしい様子の草というものもある。それは葉身に切り込みがあって、細く赤い茎は乾いた様子をしていた。ちょうど生薬とか、植物生体内の有機化合物の研究をしている方にお会いしたおりにその植物を指して正体を尋ねると、アカソじゃないかなあと言っていた。『啓蒙』のアカソトはこれなのだろうか、と思ったりした。

横着者の実際

 それで、いかにして糸をとるかというと、『啓蒙』からさらってみる。

「此皮をはぎ、水に漚して外の粗皮を去、内の白糸をとり夏布の用とす。これを奈良ソトと云。南都にて此をもって布を織、晒して四方に貸す。白苧(サラシ)と云。越後にて織もの最上品とす。」

 わたしの周囲にあるものは、はたしてノマヲなのだろうか、あるいはヤブマヲなのだろうか。いずれにしても、株元から刈って皮を剥くと、すなおに一本の皮がとれたからには、とにかく糸にできそうだった。水にさらすことはしないで、葉をむしり、大体に裂いて細くしたものを、縄ないの要領で撚ってみた。一本の撚り糸ができた。

 これをもって何に使えばいいのかまったくわからない。糸ではない皮の部分もたぶんに撚りあわさっているから強度もないし、きれいでもないが、万葉風のうつくしさがあられてうれしい。

山菜の場合

 話かわって最近、この時期にでもウドを食べられることをしった。たけのこご飯が終わったころには、山菜のとり頃も終わっていた。ことしはゼンマイを見つけて干してみたり、ワラビをいただいてアク抜きして食べてみたり、山菜にまつわるはじめてのあれこれができたが、ウドはとれずに終わってしまった、と思っていると、まだ食べられることを聞いた。

 わたしの借りている畑の上の柿畑はいい木陰で柔らかいフキが育つということで、集落のおばあさんとフキをとりにいった。葉の大きいものは茎も太いから、上から葉を広げているものを選んで一本ずつ刈りとっていった。
 わたしは埼玉ではあまりフキを好まずにいたから、すこしだけとって、ぼうっとしていた。剪定されないままの柿の木は上へ上へと細い枝を伸ばしていて、まだ緑の薄い艶のある葉が風にふかれて柔らかそうにゆれていた。いつかの剪定の跡にできた洞の中でカエルがまどろんでいた。

 幹の脇に一本のウドがあった。黄緑色の柿の葉とフキの葉のあいだにあって、太い幹からどんどん枝を分岐させて大きな濃緑の葉を広げていた。
 フキの収穫に満足したおばあさんはウドをみつけると近づいて、先端のあたりの茎を手折った。そして、これなら食べれるよ、と言った。折れるものは食べれる。折れなくなったものは食べれない、という単純な判断はすてきな方法だった。食べられるものは茎を曲げていくと外側の皮が裂けて素直に折れる。しかしたべられないものはいつまでも外側の皮が頑張って最後まで裂けないで、とることができない。それでわたしも試みた。ウドは節から節へ茎を伸ばしていて、その節で折るとだいたいが折れてしまうため、節のすこし上あたりに狙いをつけて折ることが重要なようだった。

 フキは鎌で株元から刈りとるが、皮を剥く際に、ウドと同様に手折ってみて、折れるかどうかで食べられる、られないを判断していた。

 食べ物においては、初夏に向かって次第に固くなっていく繊維は迷惑なものであるが、糸の材料としてみるときには、それはいかに偉大なものであるか、云々、とか思った。

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