ミツバチの箱と『農耕詩』その他

ウェルギリウス『農耕詩』第四歌

 古代ローマの詩人ウェルギリウスに『農耕詩』がある。ローマ時代の農業とはどんなものだろう、とおもいながら読んでみて、扱われている主題について不思議に思ったことがあった。『農耕詩』は四つの歌から構成されていて、第一歌から、穀物を含む畑作一般、樹木栽培、牧畜が歌われている。続く第四歌では、ニワトリの飼育かあるいは庭園の作り方についてだろうかとかする予想は外れた。

さて続いて、空中から生じる蜜という天界の贈り物について語ろう。
この分野にも、マエケナスよ、眼を向けてください。
小さな世界の賞賛すべき光景、すなわち
気宇壮大な指導者たちや、種族全体の
風習や営み、そして部族と戦いを、順序よく歌っていこう。
小さなものに労を注ぐが、しかし栄光は小さくない、もしも
敵意ある神々が妨げず、アポロが祈りを聴いてくれるなら。

 こうして第四歌では、空中から生じる蜜、つまり蜂蜜と、それを生みだす蜜蜂のことが歌われていた。畑作、樹木、牧畜に、養蜂がならぶことは不思議な気がした。しかし、甘味にとぼしい古代で、養蜂は重要な営みだったらしく、ウェルギリウスが『農耕詩』を歌った帝政ローマの黎明期にはすでに養蜂の技術は高い水準にまで達していたようで巣を置くのに適した場所の条件を詳細に歌っている。

まず最初に、蜜蜂のために、定まった住みかを探さねばならない。
風は食物を家へ運ぶのを邪魔するから、
風が吹いてこないところがよい。

とはじまり、虫や鳥、獣に襲われる場所は避けるよう勧めてから、

だが、澄んだ泉や、苔むした緑色の池や、
草地を細く流れる小川は近くになければならない。また
棕櫚や、大きな野性のオリーヴが入り口を陰で覆っている所がよい。
そうすれば、待望の春が来て、新しい王たちが最初の群れを
率い、若い蜂が巣から放たれて戯れ飛ぶとき、
近くの川岸が、暑さを避けてやってくるように誘い、
通り道にある樹木が、葉陰で迎え入れてくれるだろう。

と続けている。

西洋古典叢書のウェルギリウス『牧歌 / 農耕詩』。

ニホンミツバチの巣の設置のために輪島へいった話

 たけのこご飯で忙しくなる前の最後の休日に輪島まで行って、ニホンミツバチの巣を設置した。

 ウェルギリウスの歌うとおり、強い風と日差しを避け、水に近いあたりを狙って、置いた。

 はたしてどうなるだろうか。

『農耕詩』第四歌では、巣を設置したらば、次には

これらの周囲には、緑の沈丁花や、遠くまで匂う
麝香草や、強い香りを放つ多量の木立ち薄荷を
花咲かせ、菫の花壇を作って、泉から水を引いて潤すとよい。

と、巣の周囲に植えるべき草木を指示している。麝香草はタイム、木立ち薄荷はサマーセイボリーであるとして、菫はスミレでも、他に歌われている類例がいずれも香気をもっているからには、このスミレはニオイスミレだろうとおもう。

牧野富太郎「スミレ講釈」

 西洋での主流は香気を持つニオイスミレであるということを、牧野富太郎の「スミレ講釈」という一文を読むまで知らなかった。
 牧野はスミレの語源がその花形が墨斗(スミイレ)に似ているところから来ているという説を開陳してから、例によって、植物とその和名、和名にあてる漢字の組み合わせに見られる誤謬をけして許さない姿勢を見せる。曰く、スミレに菫の字を当てることは誤りで、ほんらい菫とか菫菜はパセリを指すものでなければならない。そして名前にひき続いて、茎や花姿などについて語ったあとで、ようやくニオイスミレの講釈を受けることができる。

「西洋産のスミレのスウィート・ヴァイオレット(Sweet Violet)、すなわちニオイスミレは花は紫で美麗であるが、これは主としてその香気が珍重せられるスミレである。日本ではスミレとしてはみなその花色の美とその花姿の可憐なのを愛でて、香りはいっこうに注意しない。それはわが邦のスミレ類には一般に香りのないものが多く、なかにはエイザンスミレならびにニオイタチツボスミレのように匂うものもないではないが、その香りはいっこうに貴ばれていない。」

 紫の可憐な花からただよう香気はぜひ嗅いでみたいなあとか、たしかにスミレを原料とした香水を耳にしたことがあるなあとか思いながら『中世西洋ハーブ事典』をひもといて「ニオイスミレ」の項を開くと、古代から中世にかけてのさまざまな用途が記されていた。しかし残念なことに「スミレから香水をつくる作業は経費がかかるので、今日市場にでまわっているスミレの香水の大部分は他の原料からつくられている。」とある。やはり匂いを嗅ぐためには栽培するしかなのだろうか。

養蜂と香草

 ところで話を『農耕詩』に戻すと、巣の周囲に植える草木がいずれも香気を放つ種類なのはどうしてだろうか。やはり香りよい草木からつくられた蜂蜜は格別なのだろうか、あるいは、蜜蜂をとる段の準備として

 さて、いつか蜜蜂の威厳ある住居と、蜜が貯蔵された宝庫を
開いてみる時が来たら、まず水を一口含んで
口臭を爽やかにし、

と悪臭を厭う蜜蜂への配慮するのと同様に、芳香を好む蜜蜂のために香草を植えるのか。あるいは単にそれらの植物を蜜蜂が好むためだろうか。

 ハーブにかんする民間伝承にまつわる本を読んでいるときに、しばしば蜜源として好まれたという記述にであうことをおもうと、蜜蜂と香草とはあさからぬ関係があるのかもしれない。『西洋中世ハーブ事典』の他の植物でも、たとえば「ボリジ」に「ハチはボリジの花をたいそう好む。そのためフランスの一部の地域では、ハチミツの蜜源植物としてボリジが大量に栽培されている。」とある。
 「レモンバーム」は「地中海沿岸地域ではミツバチが好む植物として知られており、ハチミツの生産には欠かせなかった。」

タイム

 しかし、蜜源植物としてはタイムが特権的な地位にあるようで、『西洋中世ハーブ辞典』に曰く、タイムは「ミツバチの好物で、タイムの芳香漂うハチミツのうまさは格別である。」
 蜜源としてだけでなく、タイムは、蜜蜂が弱ったときにも大きな役割をはたす。というのは、どこで読んだのだったか悲しいことに忘れてしまってはいるが、ミツバチがダニやカビ、または病気に蝕まれたときにタイムの枝葉を焚きしめてその煙を巣に送ってやると、健康を恢復するという知恵を読んだことがある。本当だろうか。その知恵は『農耕詩』には詳細は記されていないが、ただ、秋に採蜜した後のお詫びに

しかしもし、厳しい冬を心配してやり、蜂の将来をいたわり、
打ちのめされた彼らの心と、壊されたその環境を哀れむのなら、
せめて麝香草の煙で巣を燻し、空の巣室の蝋を切り取るのを
いったい誰がためらうのだろうか。

と歌ってはいる。

より古い世界の蜜蜂

 ウェルギリウスよりやや降った時代を舞台にして、初期キリスト教の聖人を主人公としたユスルナールの短編「燕の聖母」に「たち麝香草(タイム)と蜂蜜で身を養う、瑪瑙の目をしたそれらニンフたちを覗き見ようと、」云々という美しい一説がある。地中海のまぶしい日差しを浴びて馥郁とした香草に遊ぶ蜜蜂の牧歌的風景はギリシアーローマを通して古代世界に共通のものだと思う。黄金にかがやく蜜蜂は地中海のまぶしい太陽の寵児だが、わたしには、それでも蜜蜂はどこかギリシア的な雰囲気を纏っているように感じるのは、「燕の聖母」を含めたユルスナールのよき翻訳者であり、詩人でもある多田智満子に「アルカディアの春」と題する詩があって、わたしがこの詩によってギリシアと蜜蜂との深いつながりを印象づけられているからかもしれない。

アルカディアの春

すももだろうか あんずだろうか
花ざかりの果樹の林が
丘の斜面にうすももいろの雲をうかべ
人はみな行方不明

草の上にたくさんの蜂の巣箱が
金いろのまぶしい唸りをとじこめて
この村の名はメリガラス
そう 蜜と乳の村

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