砥石、革砥と『剃刀日記』その他
木を削っているときに、刃の鈍りを感じるときがあって、研ぎ方を知りたいとおもった。獣を捌くにおいても、鋭い刃は必要だから。それで、包丁研ぎの上手な床屋さんを思い出した。
砥石
先日、その床屋さんを訪ねて、包丁研ぎを教えてもらうように頼んだ。砥石を持っているか聞かれて、ホームセンターで買ったのがあると言うと、それじゃあダメだと笑われた。そして、玄関の靴箱を開けて、いくつかの、ちょうど硯みたいな大きさの重たそうな石を取り出した。天然の砥石だった。70になるかならぬかの年齢の方の細い手でしっかり握られていた砥石から質量以上の重みが感じられた。浮薄なもののあふれる世界で、それらが短い時の流れに崩れる中にあって、砥石には時の破壊に抗う力があった。
これはただものではないと気づいて、どうしてこんな立派なものを持っているのか気になった。
「むかし、剃刀を研ぐために使っていたんだよ」
それで思い出した本に石川桂郎の『剃刀日記』がある。床屋を家業として継いだ俳人の小説集で、床屋といえば美容院ではない髪を切る場所というような曖昧な認識をしていたわたしに、床屋は剃刀を生業とする店だと気づかせた本だった。それで『剃刀日記』という。冒頭の「蝶」でいい家のお姫さまの顔を剃るときの緊張は、読んでいるわたしの緊張にもなって、異様に鋭い緊張感は真剣勝負を思わせた。
5頁にもみたいないその一編でやられてしまって、これはじっくり読もうとおもっていながら、まだ読んでいないが確実にいいとわかっている本があることは幸せなことだという安心がこの本に伸ばす手を妨げて、もう4年は経っている気がする。
自分でも砥石がほしくなって、値段をたずねると、ピンキリではあるが、たしか当時2万円ほどで購入したという。いまでいういくらくらいなのかわからないが、分割で買ったと言い、また、同業の奥さんはもっと高いものを買ったとも言っていて、どれだけのものか見当できなくなった。
いまでも剃刀を研いでいるかたずねると、いまでは替え刃になったため、知人たちの包丁研ぎをするくらいだという。そして、店の柱の一本を指して「そこには革砥も吊ってあって、日に何度も研いだんだけどね」と言った。
革砥! どこで読んだのだったか忘れたが、本の中でしか知らなかったものが、かつていきていた場に立ち会えたことがわたしを感動させた。ストラップ状の革砥の端は柱に繋がれている。もう一方の端を左手で摘んで引っ張り、右手に持った剃刀を革の上を数回滑らせる様子を想像すると、そこがとつぜん懐かしくおもえた。いまでも砥石と革砥を備えた床屋はあるのだろうか。
わたしは未知に触れてまた世界が広がった気がした。研ぐという行為が刃物を扱うことに付帯するものでおわらない、それ自体の広がりを持っていることに気付かされて、その職人的な分野、生活から遠いところにあると思っていた広がりが案外近くにあることに驚いた。わたしがしたことには研ぐことも覚える必要があることを知った。ふたたび「どこへ転がっていくの、林檎ちゃん」という気持ちになった。
研ぐ
今日、再訪して、包丁やらナイフやらを研いでもらった。職人技を目にしては、やってみたいとはとても思えなくて、ただ見ているだけで終わった。それだけでも十分だった。
荒研ぎしてから、仕上げをした。時折、砥石の平面を保つため、一層堅そうな白い石で表面をこすった。
刃物を研ぐ前に刃先を上にしてわたしに見せ、刃先が白くなっていることを示してから、ある程度研いでから再び見せて、「どうだ、白いのが見えなくなっただろ」と言ったが、正直あまりわからなかった。はいと答えた。2本目、3本目と眺めていくうちにわかってきて、調子合わせの肯定に感情がついてきた。
白く見えるというのは、刃が鈍って丸くなり、面になって光を返しているためだろう、研ぐと、刃先に面がなくなって、光を反射する白い色が消えるのだろう。ときどき、刃に親指をかるく押しあててなにかを確認しているので、わたしもまねていたが、その感覚の違いは最初から最後までわからずじまいだった。
仕上げ後の刃物は横から見るとすぐにわかった。刃先は鏡面のような輝きを放っていた。
安物は安物なりにしかならないといいながら、全て研いでもらった。わたしがおどろいたり感動するたびに、「剃刀は日本刀だから」という言葉が繰り返された。正確な含意はわからなかったが、矜持を感じた。砥石を必要とする人々に、大工さんや木工屋、木彫師、表具師、建具屋、と数えていって、床屋を見落としてしまう。剃刀は日本刀だということばがその場に引き戻して、数えて折る指を一つ増やす。
石川桂郎の本も誇りに満ちている。剃刀は日本刀であっても、日本刀の人を切るための鋭さと同じ鋭さが、剃刀では人を切らないためのものだった。握ったときには同じだけ緊張を強いることが刃物というものにあるのだろうか。
『日本の手道具』
適当に目について買っておいて、あとから知っている作者だと気づいたときには、馴染みの店で知人と顔をあわせたときのうれしさと同じものがある。秋岡芳夫がどれだけ著名かしらないが、わたしにとってその名前は大きい。見たことのない古い道具の写真が豊富だったために買って、うっちゃってあった『日本の手道具』に「砥石」という項があった。
砥石がほとんど京都の嵯峨野でしかとれないものであるが、いい砥石はほとんど東京に流れていくことや、最近では医者が高いものを買っていき、まあまあのものを木彫りや建具のひとが買い、町の若い大工は専ら合成砥を使っていることなど、著者の聞いた話をまとめてから、砥石を持ってきさえもしない大工を残念がっている。
それで、
「この大工にくらべたら、床屋の兄さんはよほど立派である。月始めの月曜日には砥石屋に行くなと私はよく砥石の買物案内の時言うのだが、月の始めは京の山からの月一回の入荷の頃だし、月曜日は床屋が休みである。そんな日の砥石屋は買得なこっぱ物の砥石をあさる床屋の兄さんでごった返していて、とてもわれわれ素人がよりつくどころではない。」
と続けている。昭和44年から45年にかけて連載された内の一文だから、そのころまでは床屋さんは砥石で日本刀を研いでいたのだろうか。
仕事ぶりは知らないが、その人格に腕の確かさに信頼を寄せるに足るものを感じる大工さんがいて、その方に話を聞くと、やはり天然砥石を使うが、最近は人工砥石もいいものが出てきて、それに番数が確かなものだから、人工砥石も使っていると言った。床屋さんも言っていたが、天然砥石は当たり外れがあるそうだ。そうでなくても、それぞれに癖がある。親方はずいぶん高いものを買っていたが自分はそこそこのものを使っていたとも。
木工屋さんにも話を聞いた。木工を学ぶにあたって、はじめのほとんどが刃物を研ぐことに費やされたと言って、そのことに深い感謝を感じていた。
日本刀と西洋剃刀
石川桂郎の別の一編で、「六さんは、本当の髭剃りは日本剃刀でなければ出来ないと言って、西洋剃刀を使わなかったから、事実髭剃りのやかましい客は六さんについていたし、鼻毛も巧みに剃って自慢していた。」という一文がでてくる。しかし、ここでいう西洋剃刀は、安価品の言い換えでしかなくて、西洋にも確かな髭剃りはあるようにおもう。あるいは、わたしたちとかれらとで、肌質や硬さ、髭の濃さが違うために、それにあう刃も違うのではないか。こうして擁護したい根底に、以前読んだ雑誌の記事がある。『SPECTATOR VOL.34 ポートランドの小商い』の「ストレートレーザーに見る温故知新」がそれで、ストレートレーザーという古い髭剃りを手作りし販売している業者に取材している様子は信頼できる。
「ホビー的なものに情熱を傾けるのも好きで、古いカミソリをネットで見つけて買って、昔の人がやっていたようなオールドファッションな方法でヒゲ剃りをしてみたんだ。それまでは使い捨てのジレット社とかの二枚刃カミソリとかを使っていたけど、すぐに買い替えなきゃいけないからゴミも増えるしコストもかかる。そういうことに疲れちゃったんだな。アメリカには<ハートスティール>っていう老舗のカミソリ会社があるんだよ。昔ながらの製法でストレートレーザーを復刻させている会社なんだけど、値段も高いし、あまりクオリティが良くないんだ。復刻させている会社はドイツとフランスにもあって、アメリカの人口の1%くらいの人がいまでもストレートレーザーを愛用している。でも、やっぱアメリカ製のほうがメインテナンスの面でも安心だし、安く販売できる。アメリカ製をハンドメイドでつくれたらウケるんじゃないかということで、オリジナルを作ろうと思い立ったのさ。」
初めて読んだとき、欲しくなって、まだ髭もそんなに生えないわたしには使っても面白くなかろうと思って、やめたことがなつかしい。きっと良く切れるし、手入れも楽しいだろう。いまではわたしも良く切れるカミソリが必要な顔になった。
ひさしぶりに読み返したら、メインテナンス用に販売している革砥も紹介されていた。革砥はここで読んだ記憶だったのだ。
「これはストロップと呼ばれる、メインテナンスの道具だ。映画とかで見たことがあるだろう? 表は牛革製で、こうちゃってシャッシャと(革に刃を沿わせて上下する)毎回つかうたびに研ぐのさ。ストレートレーザーを使うには、このストロップもセットで揃える必要がある。ヒゲを剃った後のカミソリの刃を顕微鏡で見ると、刃先が暴れて(右指と左指を目の前で組み合わせて)ギザギザになって切れ味が悪くなっちゃうんだ。使い捨て式の二枚刃も最初はスムーズな切れ味だけど、一度使うとこうなるんだよ。ギザギザの刃を整えるのがストロップの役目なんだ。メインテナンスをマメにおこなえてさえいれば研ぎ石で研ぐのは年に一回くらいで済むんだよ。」
そして、記憶からすっかり抜け落ちていたこともあって、それは、このレーザーの刃の仕上げる砥石を日本から取り寄せていることだった。