スプーンづくりと「ロビンソン・クルウソオ」

定住という冒険

 「冒険は漂流にではなく、むしろ定住にある。」ということばがある。花田清輝が「ロビンソン・クルウソオ」という文章のなかで言っている。
 すでに新訳版の登場によって絶版になっていた吉田健一訳の新潮文庫『ロビンソン漂流記』をさがして買って読んでみた。ふるい小説はすこしふるくさい翻訳で読んだほうが味があるだろうと思って。読む以前には、オデュッセイアのような冒険譚かと予想していたが、しかし、花田清輝のいうようにこれは定住譚だった。原題は “The Life and Strange Surprising Adventure of Robinson Crusoes” で、たしかに、『ロビンソン・クルーソーの冒険』と訳すだけではいい含められない生活の重みがある。
 ロビンソンは漂流した無人島で28年2ヶ月と19日、その大半をひとりで暮らした。暮らしの様子は花田清輝の冒頭の一文の続きが過不足なく伝える。「分析的な知性によってたてられた慎重な計画とその計画をつぎつぎに実現していく執拗な行動力と––––そこには架空の冒険譚にはみられない、生なましい建設への情熱がある。」

 例えばロビンソンは一枚の板をつくる。

「私はそれまで工具というものを手にしたことがなかったのであるが、努力と、労力と、工夫によって、殊に工具があれば、必要なものは何でも作れることを発見した。そして工具は不足していても、私は実に多くのものを、時には手斧と鉈だけで作った。その中にあるものは、かつてそういう方法で作られたことがないに違いなく、それには非常な手間をかけなければならなかった。例えば、板が欲しい時は、木を一本切り倒して、それを何かで押え、板の薄さになるまで両面から斧で削って行った後に、鉈で表面を平らにするほかなかった。確かにこの方法では、一本の木から一枚の板しか得られなかったが、これは我慢するほかなく、また一枚の板を作るのに必要な時間と労力にしても、同様だった。しかし私は時間と労力は惜しまなくてもいいので、何か仕事をしているのでありさえすれば、ほかに何も考えることはないのだった。」

 万事この調子でロビンソンは暮らしをつくっていく。
 このあいだ、山で伐った一本の細い枝を持ち帰って、スプーンをつくってみた。売れるような立派なものは出来上がらなかったが、わたしが使うぶんには十分に用をなすものができた。芸術品はつくれないかもしれないが、たしかに、必要なものならつくれることを、わたしも発見した。

ウワミズザクラのスプーン

 何の木だかわかないまま、半割にし、さらに半分の薄さに割って、あらあらとした板を得た。ロビンソン・クルーソーほどでないにせよ、わたしも板を作る面倒をしった。それを雰囲気で削って柄と窪みをかたちづくっていく。削るたびに木の香りがする。薄い屑は光沢を放ち、柄にはうつくしい木目があらわれた。
 山の木にくわしい方に尋ねると、ウバミズとかなんとか言った。ウワミズザクラのことだった。以前にも、その実が杏仁子とよばれ、杏仁の香りがすることや、枝の木肌がうつくしいことを耳にしていた。わたしはそれともしらずに、樹皮の艶にひかれて、持ち帰ったらしかった。材も柔らかで加工しやすく、表面はなめらかに仕上がる、良材だった。山のひとにいわせると、小さい頃、この木で木刀をつくってよく遊んだと懐かしがっていた。

「藤九郎の島」

 定住にある冒険を、ロビンソン・クルーソーより前にわたしはすでにしっていた。久生十蘭の「藤九郎の島」は文庫で20ページにみたない短編だが、江戸時代、遭難した船乗りたちがたどり着いた岩島に定住し、その後、同じ潮流によって島に流れ着いた人々と共同で船をつくって、脱出するまでを描いている。漂着した島は、「船から見て、おおよその見当はつけていたが、草木のともしいところはおどろくばかり、木と名のつくものは、国方で、茱萸といっているものの一尺ほどの細木、草はといえば、茅、葭、山菅が少々、渚に近いところに鋸芝がひとつまみほど生えているだけであった。誰も彼も呆気にとられ、顔を見あわして溜息をつくばかりであった。」そして、その島の地面をなす岩を、鳶口と大釘を鍬がわりにしてつき崩し、畑を拓いて、米をつくった。
 たしかアイルランドのアラン島も貧しい岩だらけの土壌で、そこでもやはり岩をつき崩し、海藻を焼いた灰分を肥料として混ぜて畑としていたのではなかったか。そして、防風林のない裸の岩島に吹き付ける激しい風で、大事なわずかばかり肥えた土が吹き飛ばされないように、畑の周囲に石を割ったスレートを積んで、岩の壁をつくる努力もアラン島特有の必要だった気がする。シングの紀行文『アラン島』と、片山廣子『燈火節』中の「アラン島」をあたってみたがそれらしい文章は見当たらなかった。どこへ行ってしまったのだろうか。

 ともかく「藤九郎の島」では、漂流した船乗りたちは、無事に脱出を果たした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA