つづりな窯訪問と「偶像崇拝」

 本焼き最中のつづりな窯と徳田さんをたずねた。

徳田さんとつづりな窯

つづりな窯

 窯の炎は空気口から大きく息を吸い込み、煙突から熱気を吐き出してる窯の呼吸が窯内を白熱させて、焚き口を封じている戸の隙間や空気穴から橙色の熱気が漏れでる。近づくだけでからだ中から汗が吹き出した。

 長いあいだ窯にあびせられる強烈な熱気に魅せられていた。窯の手前の棚にクリーム色の素焼きの器がある。気になることをいちいち徳田さんに尋ねてわずらわせるたび、徳田さんが窯の設計の狙い所を答えたあとで口にしていた「まあ、窯の中は見えない世界だから、実際どうだかわからんけどね」という付け足しをもっともだと思い、もっともだと思いながら、窯内を満たす烈火のなかで素焼きの器物にどんな変化がおこっているのか、想像せずにはいられないのだった。

 棚には本焼きした器もある。窯小屋の外にも割れたのや、完全なかたちをたもったものが雨ざらしになっている。徳田さんが「納得のいかない仕上がりのもの」と呼ぶそれらは、つぶさに見たわけではないですが、どうして徳田さんが納得いかないのか、わたしにはわかりかねた。
 しかし、救いはあるようだ。

「しばらくして見てみると、悪くないなあと思うものもあったりするけどね。」

 昼過ぎに72二時間の本焼きを終えて、焚き口、空気穴やそれらの周辺の隙間を粘土で埋めて、密封した。器が取り出せるくらいに窯内の温度が下がるには一週間かかるという。

しょうぼく亭

 午後に、駐車場脇の展示場でアイスコーヒーをいただきながら、これまでの焼き物を見せてもらった。

徳田さんの展示場「しょうぼく亭」

 しょうぼく亭は、窯場からしばらく山道をのぼった先の集落で取り壊そうとしていた古民家からゆずってもらった古材を組み立てなおしてつくったという。棟あげまでは大工にたのんで作業してもらい、そのあとは自分でつくりあげた。展示台や椅子も自分で設計して、必要な部品を知人に頼んでつくってもらい、組み立ては自分でつくったのだと。自作のゆえんは自力の誇示でも、拘りの強さでもなく、自分にできることを人任せにせず自分でしたまでだといった、だれでもがもっている矜持にあるようにかんじられた。
 手づくりの部屋と家具とがこの空間の規矩をゆるやかなものにしていて、静謐のなかに作品群がたたずむ作品展とくゆうの緊張はなく、気心知れた友人の縁側にいるときのような、ただしずかに時間だけがながれていく居心地があった。そして気づけば3時間もたっている。

無言の表現と「偶像崇拝」

 しょうぼく亭にならんだ焼き物をみながら、それをつくった徳田さんのお話を聞いていると、作品と作者との関係を考えずにはいられない。美術作品にいまひとつ関心がもてず美術鑑賞の経験に乏しいわたしには、この問題は新鮮なものだった。

 もとより陶芸の歴史や、技術、文化について知らない。ただ、土を練ったものを焼くことで、それがわたしたちの生活を支えるに足る硬度を得て、食卓を彩る器に変化する神秘をいつもおもいながら、たまに気に入った焼き物があれば買っているばかりだ。
 わたしの焼き物を見る公準に、柳宗悦のいう工藝美がそこにあるかかどうかがあって、「作られる美」ではなく、「生まれる美」あるいは「個性に依らざる美」「心無くして生るる美」などの言葉で柳があらわしている美を信じすぎるあまり、わたしは作り手の存在を無視して、作者の意図せざるところにあらわれた美だけを作品に見出そうと、焼き物をひたすらに静物としてだけながめていたのかもしれない。

 焼き物を見ながら、考えていた。これらの焼き物は徳田さんが表現しようと努めたところに現れたものだ、と。こうして作者と作品との関係を捉えるにしても、それでは表現とはなんだろう。新たな疑問がうまれた。
 なにかを表す、あるいは現すことをわたしたちはいつも言葉によって行なっていて、書物に親しむわたしにとっては、文章表現とは作者の言いたいことだと理解ができるが、しかし、言葉に寄らない表現とはなんだろうか、と。

 ひょうげん、ひょうげん、と、考えの引っかかりどころの言葉を飴玉のように口の中でころがしていると、小林秀雄がどこかで書いていた一文がおぼろに浮かんできた。それは土器を眺めることから、言語以前にも人間が無言の表現をしていたことに思いがうつっていく文章だった。
 ときに、会話の流れは徳田さんが見たいと思っている、いま金沢市埋蔵文化センターで展示されている土器におよんだ。最近あたらしく発掘された土器をみると、わたしたちが想像する古代人の表現の古拙はなく、おどろくほど洗練された造形をしているということだった。わたしはそれこそわたしが思い出そうとしている一文の言わんとするところだと合点して、曖昧なままに引用をお伝えした。
 それは、帰って探すと「偶像崇拝」の中にあった。

「偶像崇拝」が載っている『モオツァルト・無常という事』

 「嘗て、古代の土器類を夢中になって集めていた頃、私を屢々見舞って、土器の曲線の如く心から離れがたかった想いは、文字という至便な表現手段を知らずに、いかに長い間人間は人間であったか、優美や繊細の無言の表現を続けて来たか、という事であった。 // 土器をつくるものは、実用的目的に間違いなく従い、土や火の自然の性質にもっと間違いなく随従し、余計な心遣いをしなかった御蔭で、人間の性質のうちにある言うに言われぬ或る恒常的なものだけを表現して了うという事になった様である。」

 なるほどたしかに、造形は言葉より古く、それゆえにいまでも造形は言葉以前の素朴な心理が脈絡をたもっているならば、焼き物にもまた、「人間の性質のうちにある言うに言われぬ或る恒常的なもの」をみればいいのかもしれない。
 そうであれば、言うに言われぬものを云々考える必要なないわけで、ようやく、疑問が決着した。言葉によって考えることはできないという不可能に陥ることによって。

懇願

 ぼんやり器を眺め、ぼんやり考えにふけっていると、ふいに徳田さんが恥ずかしそうに「無理してなにか買わんなんとか思っているなら無用の気遣いやぞ」と言った。わたしは、不要の言を口にさせてしまったことを申し訳なく思った。というのは、無理して買わなくていいということなんて、言われなくてもしょうぼく亭に入ったときからしっかりと感じていたから。
 それで、なにかいま考えていることごとを話して、無理して買うものを探し出そうとしているわけではけしてないことを伝えるべきか、あるいは、そうした多言が無理して買おうとしているを隠そうとする虚言と受け取られないように、はいと答えてしまおうかと逡巡して黙してしまった。そうしてついに沈黙を破って、言おうか言わざるか躊躇っていた別の懸念がふいに口から飛び出した。
 じつはしょうぼく亭に並ぶ焼き物をながめていいなあいいなあと思いながらも、それらよりもなおほしいと思わせる焼き物が別にあった。それは窯の手前の棚にならんでいた器のひとつで、それで、棚の上のものははすべて売り物にできないものなのか徳田さんに尋ねると、「現状では」という限定符つきで、納得のいかないものを置いてあるという返答を受けとった。それでも棚の上のひとつがどうしても気になるので、もう一度見てやはり気に入るものであれば、買わせてもらえないかとお願いをすると、とりあえずそれを取って来てみなということになった。

わがままを言って買わせてもらった茶碗

 どこがどういいか説明できないが、気に入ってしまった。それでも徳田さん曰く「茶道のお茶碗のつもりでつくったんだけど、お茶用としては納得の出来ではない」ものだということだった。わたしが購入を願い出るとその場で値をつけてもらった。


無私を得る道

 しょうぼく亭の名にいつわりなく、素朴に憧憬を抱いている徳田さんが「こういうものがつくりたいんだ」ととっておきのものを見せてくれた。

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こどもがつくったかえる

 こどもが自由に無造作につくったかえるで、「無造作っていいことばだよなあ」と徳田さんはしみじみと言っていた。「無造作。造作なく。でも、それが難しいんだよなあ」。わたしはこのかえるに表現というものの本当の意味があるように思った。

 このかえるのようなものをつくろうと試みたことがあるか、徳田さんに尋ねると「ない」と断言した。
 「もしかしたら、はじめから諦めてしまっているのかもなあ。」

 わたしはその諦念にひたすらに真摯な姿勢を見た。無造作なかえるへと至る道は、このかえるのようなものを意図して無造作につくろうと試みるところにはない。無造作につくろうと努めた無造作は、たとえやがて真に無造作で優れた造形がつくれたとして、その無造作な作品へとたどりつくための道程はすべて稚拙な駄作となってしまう。なんとなれば意図した無造作は、厄介な意識が介入して稚拙にゆがんだ造作に陥って、無秩序な醜さに堕するから。
 それでも、無造作から造作へ進んだ先に、さらに造作の先の無造作というものがきっとあるのだろう、いや、きっとなければならない。すくなくともそう信じたい。
 ここで、また脱線して唐木順三がどこかで言っていたことを想起した。有、有から無へ、そして無を背景とした有へとの行程を経ることで起こる、唯の有から無を背景とした有への質の変化が、かえるの無造作と徳田さんの目指すところの無造作の間にはありはしないだろうか、云々、というようなことを。

 「この先15年かけて納得のいくものをつくれるようになりたい」という徳田さんのおもいに偽りはないように感じた。納得いくものとはなにか。徳田さんは、自分のつくりたい焼き物をこうも言っていた。

 「畑の土から採れた野菜みたいな、そんなものがつくりたい。」

 ああそれはさぞうつくしいものだろう。

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