野ダイコンと『野菜の博物誌』

 林業大学校の実習で粟崎の海岸付近に防風防砂で植林した黒松林の下草刈りをしました。

 下草刈りはあんがいとはやく済んでしまい、道路っ端の雑草やら、むたむたの荒蕪地やらも整備することになった。そして、道端の草むらにわたしはかねて見たいと願っていたものを発見したのです。

野ダイコン発見!

 そこには野生のダイコンが群生していました。もう種つけの時期のようで、細長く伸びた薹から花茎が分岐して、串団子みたいな莢が膨らんでいました。種は熟しかけらしく、茎も莢も黄緑色の株が多かったが、中に完熟し乾いて茶色くなったやつもありました。その株元には風か雨かによって揺れ落ちたらしい種子が落ちていました。

 昼休みに飯をいそいで食って、ほかにも野生のダイコンがおるまいかと散策に出かけました。そして、さっきのものよりもまだまだ若い、花ざかりのひと叢を見つけたのです。

野ダイコンとは?

 付近に自生する植物を紹介している看板には「ハマダイコン」として紹介されて「ダイコンが野生化したもので肥料をやって栽培すると再び普通のダイコンになります。」と記述されていますが、はたして栽培すれば本当に一般流通しているようなダイコンに育つか、どうか。わたしは疑っています。というのはこの記述が、わたしの興味をひいた本に書いてある内容と食い違っているから。

 一体ダイコンの品種の多い日本だから、自生するダイコンについては古くからさまざまな観察記録や栽培方法が文献に残されています。青葉高の『野菜の博物誌』によれば、だいたいがダイコンとは別品種とみて、野ダイコン、小ダイコン、吹上ダイコンなどとして記述されています。
 明治に西洋流の植物分類学が入ってきて、日本の植物学者たちはこれら種々様々な名称のものを同一品種とみなして一括し、栽培品種の逸出種であるとして、浜辺に多く自生することから和名をハマダイコンと定めたようです。
 しかし、青葉は栽培品種の逸出が容易ではない点や、古く平安期にはすでに「オホネ」と別に「コホネ」と分類していた点、江戸時代まで各地で小ダイコンを栽培していた点などからかんがみて、野生ダイコンが栽培種の逸出し野生化したものであるという説に疑問を抱いています。
 そして、野ダイコンが日本外にも台湾、朝鮮半島、中国東海岸にも存在し、中国の古い文献にもダイコンと区別して野ダイコンが記載されていることなどから、「日本各地に野生するダイコンの多くは栽培ダイコンの逸出したものではなく、大陸から古い時代に渡来した野生ダイコンの後代と考えてよいものと思う。」と結論づけています。

 なぜ野生ダイコンが栽培ダイコンの逸出種であるのか、あるいは栽培種とはぜんぜん別種なのか、煩瑣な詮索するかというと、わたしは野生ダイコンが逸脱種ではなく、いまの栽培品種とはぜんぜん別物だと願っているからです。そして野ダイコンが栽培ダイコンと別種であるならば、きっと栽培ダイコンにはない特徴を持っているだろうと期待しています。

青葉高の『野菜の博物誌』

野ダイコンの特徴

 栽培種と野生種の一番の違いは種子と莢にあり、『野菜の博物誌』によれば、栽培種の莢は円筒形で柔らかく脱粒しにくいが、「野生種の莢は種子間がくびれ全体が数珠形で、種子が成熟するころは莢が褐変し、莢の基部と種子巻に離層が形成され、莢は一種子ずつ内蔵するカプセル状になって自然に落ちる。」といいます。わたしも、種一粒ごとに分離した莢が株元に落下してあるのを見、種を採るときにわずかの刺激で莢が離れてしまい苦戦しました。
 野ダイコンの根は、栽培品種にくらべて根が細長く、小ぶりで、辛味が強いといいます。

 野ダイコンについて記述された文献には、自生するものを収穫して利用していたり、栽培していたり、さまざまだ。江戸期の農書には、野ダイコンを栽培している様子が残っています。

『大和本草』

 本草学者であった貝原益軒はさすが健康指南書の述者でもあり、晩年には花卉野菜の栽培方法をまとめた『花譜』と『菜譜』をものしているだけあって『大和本草』にも「野蘿蔔」を「蘿蔔」とは別項をたてて詳しい特徴と栽培方法を紹介しています。

 「人力を用いず種落ちて自然に生す。」
 種子の特徴の記述でもあり、気付かぬうちに増殖してしまう危険性への注意でもありそうです。

 「また圃にもつくる。二種共に脆美なり。味辛し。塩に漬けまた蒸して熟し易し。」
 二種共にとあるように、自生のものと栽培したもので、あまり違いがでないということでしょうか。

 「根は地に出ず常のダイコンに異なり春蔬の佳品なり。」
 根が全て地に潜って、越冬するため、春の野菜として珍重されたようです。

『百姓伝記』

 各地に数おおくある野ダイコンの中でも波多野ダイコンは、江戸で香の物の材料として有名になり全国に普及したようです。
 『百姓伝記』によれば波多野ダイコンは相模国秦野に自生する品種で、皮があつく硬く、太らずに細く長く育つという。種が広まって現在(1600年代後半当時)では各地の畑で栽培されているとも記述されています。

 「七八月に蒔きて年を越し、正二月までしぎにならず、つかふなり。」
 しぎとはスのことで、新暦でいえば8月半ばから9月半ばに播種して、三月半ばほどまではスが入らないといいます。

 「花さき実なるまてつかハるるものなり。」
 薹立ちした後にも食べられるのは魅力的です。

 「香のものにして風味よし。」
 水分が少なく肉質がしまっていて、漬けても歯応えがいいのでしょうか。

 「此大こんハ雪霜のうちにごミあくたをかぶせ、其上に土をきせ置、春になりてごミあくたを取すて、やしないをすれハ。葉多く出、夫食にして徳多し。」
 覆いがなくとも根で越冬はできるが葉は枯れ腐るので、春先に葉も利用したいなら覆いで防寒しておくとよいくらいの意味でしょうか。

野ダイコンの栽培に向けて

 わたしは昨秋播種したダイコンを植え付けのまま越冬できるか試みた。結果は雪解け後ただちにサルに食い荒らされたため詳らかになりませんでした。もとより日本在来品種の多くは晩秋既に荒らされていて、色の悪さを腐敗と勘違いしたのかあまり乱獲されず、残っていたのは黒ダイコンだけでした。初春にはえさがよほどすくないのかわずかにのこったこの黒大根をすらサルに食いあらされました。
 また晩秋に播種した越冬品種の二年子ダイコンは春先よく栄えたが、山の寒に春が待ち遠しくなったのか雪解け後ただちに薹立ちしました。

 さてそんなところで、うれしや、野ダイコンを発見したのです。

・根が深くまでもぐり越冬し、初春に食べられる
・ス入りが遅い
・花が咲いて実がなるまで長く食すことができる

 こんなにすてきなダイコンが自然に育っているなんて。さっそくことしの秋に蒔いてみようとおもいます。

 しかし、残念なことには、『野菜の博物誌』には「野生種の種子は休眠性をもち、成熟期の八月頃は発芽性が低く、一年間貯蔵した種子はよく発芽した。」とあります。はたしてことしうまく発芽するか、どうか。

野ダイコンの全身。根がわずかにふとっている。

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