野ダイコン再び、
クロマツ植樹のために、海沿いの防砂林に行った。昨年の初夏に種をつけていた場所で、野ダイコンに再会した。
周りの芝生やその他の雑草にまけじと砂地にしっかり根を張って、その一帯は、昨年同様、野ダイコンの占領下に置かれていた。
野ダイコンの様子
あのときの種が発芽し、いや、一年休眠しないと発芽しないのではなかったか、それならこれらはあのときのではないが、とにかく順調に育ったらしい立派な姿に出会って、月日をかんじた。この月日のあいだに、わたしは畑に栽培種のダイコンの種をまいてわずかばかりの世話をしたが、あまり立派には育たず、そのうちに雪に降って、やがて畑の茶色も緑も一面白く塗られて、そしてそれはいまでも雪の下にあることをおもった。それを思えば、すでにはやい春を迎えた野生種のこのダイコンは、日を浴びて背伸びをしているようにも見えた。
そういえば葉を見るのは初めてだった。去年のは、すでに葉は枯れて、残るは董とその先に実った莢だけだったから。どことなく堅そうな葉の質感と、春のはしりの季節ともおもえない濃い緑色が、野生で育った矜持みたいなものを感じさせていたが、たしかにひとめでダイコンとわかる姿をしていた。
根は『野菜の博物誌』のなかで引用されていたなにかの記述通り、細長く、養分の貧しい土地でもなんとか栄養を得ようと根を深くふかく伸ばした半年の生涯を思わるものだった。
群生の様子をおさめそびれたのが残念だが、育ちにばらつきがあって大小さまざまなものがいた。野生種で発芽時期にばらつきがあるからだろうか。しかしいずれもがそろって首元深くまで地面に潜っていた。
食べてみたら
持ち帰って、ばたばたとして一週間ほど過ぎてしまった。いちおう生きていたので、すりおろして食べてみた。スはなかったが、あまりに水分が少なくて、とてもおいしいと言えない。しかし辛味は効いていて、もうすこしなんとかすればどうにかなりそうかもしれない。すった感じがホースラディッシュに似ていたが、あれほどには辛味も風味もなく中途半端だった。
正直、感動は再会時に最高潮を迎えていて、帰宅してからさまざまに注意がうつったこともあって、野ダイコンを洗っているころにはすでに興味が衰えていて、なかば義務感から食べた。もうしわけないことをした。そういえば、漬物に向くらしいから、つけてやればよかったと後悔している。来年もし出会えたら。