小型炭焼き機の試運転

 金沢市東原町の水芭蕉会が、小型の炭焼き機を導入して、2回目の試運転を行うということで見学させてもらいました。8時集合でしたが、道中で自動車の前輪がパンクし、修理して向かうと、ついたときにはすでに酷夏の日盛りをむかえていました。炭焼きは、ちょうど炭材を詰めてさて火をつけようかという頃合いで、実際にこの簡易炭焼き機で炭を焼く森さんは、焚き口で雑紙をまるめたのを火口として薪に火をつけようとしていました。

点火する森さん

点火

 炭焼きを卒業研究のテーマにしている北陸学院の学生が、森さんの助手としてこまこまと立ち働いていました。今日の試運転は彼の研究を兼ねているということで、森さんと学生が忙しく働くなか、便乗するわたしだけが呑気にそれを眺めていました。
 焚き口で薪に火がつきさえすれば、ほとんど世話のかかる作業はなく、ただ窯の様子を確かめながらたまに火量を調節するくらいで、それで二人もしばらくして焚き口の前に腰掛けて様子見の時間になりました。

点火後の見守る時間

 炭材は、焚き口の着火後、乾燥、窯つけ、本焚き、蒸しという工程を経て炭になります。自然物を相手にする作業のため、それぞれの工程がどれほどの時間を要するかは、その時々で定まりません。1回目の試行から、だいたい乾燥2時間、本焚き10時間くらいはかかるだろうと森さんは見立てていました。

窯つけ

 今回は10時に点火しました。薪が昨夕の驟雨に湿っていたせいか、勢いよく燃えないで、にぶくくすぶっている様子でした。そのためででしょうか、乾燥にあんがいと時間がかかって、窯つき温度に達したのは、3時間後の13時でした。煙突温度で80度を超えたら窯がついたとみなして、それからは薪をくべるのをやめ、空気口と煙突を開いて、窯内の炭材自身がじりじりと長い時間をかけて炭化するに任せます。

窯つけ

本焚き

 本焚きは燃焼ではなく炭化です。燃焼において、木は十分な酸素と反応しすべての炭素は二酸化炭素と水に分解され、灰しか残りません。炭化では酸素が不十分なために炭素は燃焼せずにそのままのこり、高温状態における木の熱分解によって揮発成分が煙となって抜けでるため、炭素と灰分だけが残ります。これが炭です。木酢液は煙として溶出した揮発成分の蒸留液です。

煙突から排出される木酢液を含んだ煙

 窯内に隙間なく詰められた炭材が燃焼するために要する酸素を供給するには空気口はあまりに小さく、炭材はその穴からわずかずつ供給される酸素によるだけのごく小規模の燃焼でゆっくりと上から下へ火をうつしていきます。
 炭焼き機も焚き口の奥には障壁が築かれ、熱は上部から窯内へ流れる構造になっていました。だから炭化は炭材の上で生じて、下へ下へうつっていきます。それゆえ本焚きの初期には炭焼き機の炭化反応が起こっている寸胴の部分に手を当ててみると、上部は触れられないほど高温になっているのに、下部は触れても金属の冷たさを感じるほどに低い温度のままでした。そして炭化が進行するにしたがって、高温の部分が下へ広がってきました。

長丁場

 15時頃になって、わたしは事務作業と会議のため一時帰宅しました。長引いた会議を中座して、ふたたび東原に着いたのは夜10時手前でした。街灯のない窯場で二台のスタンドライトに照らされて白銀に輝く金属製の窯はまだ静かに燃えて、煙突から白煙をあげていました。深閑とした夜の森に灯された明かりに群がる虫の羽音に囲まれて、窯は静かでした。
 わたしが抜けているあいだも森さんと学生はずっと窯についていました。本焚き開始から10時間後には終わるだろうと森さんが見立てていた予定時刻の23時は容易にすぎました。

 変化に乏しい煙と温度とをしきりに確認するほかには為すことのない、この無為な時間がわたしたちの視線を温度計と煙突の先から空へと促しました。そこにも変化の乏しい情景が、美しい星空が広がっていました。天文に詳しくない三人は、夜空に散らばった星々のいずれになんという名がついているのか、ひとつもわからないまま、ただ眺めていました。窯の背山からのぞいていた月明かりは、いつのまにか月の全貌に姿を変えていました。星座の回転も窯の温度上昇にひけをとらないわずかずつの推移で、もしこれが天文研究のための観察であれば、本焚きの完了を待つ無為同様に退屈極まりない時間でしかなかったろうに、しかしそれが今日のように退屈しのぎの望洋であるときにはわたしを満たす時間に変化したことは、ひとつの驚きでした。
 わたしの家だって、屋根をはらえば星屑の夜空が広がっていることは知っています。しかし外に出て眺めることもしません。美しい夜空があることを知りながらそれを眺めず家で過ごすことが生活というもので、きょうの夜空の眺めのような充溢した瞬間は、生活の外にあって、生活を忘れることによってのみ得られるのかもしれない、と、そんなことを思いました。

 窯を閉じる目安は、煙突温度で200度でした。森さんの話では「そこを超えればそこからはどんどんと温度が上がっていく」と言っていたその150度にもなかなか到達しないまま、じりじりとしか温度は上がらず、やがて24時を過ぎました。寸胴の上から半ば過ぎまでは高温になり、炭化も残すは炭材のほんの下部だけだろうという時期で、25時を過ぎて、わたしたちは根負けして窯を封じました。森さんは「まあ底意外はよく焼けただろう」と言っていました。

断念

 今回の本焚きは順調にゆかず時間がかかった理由は、森さんにもわからないようで、明らかになりませんでした。森さんは煙の出が前回よりもすくないこと、とくに窯から垂直に立ち上がる煙突と、それからわずかに勾配をつけた横向きで取り付けた煙突との接続部から多くの煙が漏れて、横向きの煙突まで流れる煙の流量がすきないことをいぶかしんでいました。
 わたしが思うに、ひとつには今回は完全な逆風で、山風が吹くたびに煙が煙突に吹き込まれていたような印象がありました。
 それから、具体的な原因はわかりませんが、煙突の引きが弱いように感じました。引きとは、空気口から焚き口内部の障壁を登って窯内に流れこみ、窯奥の底部から煙突を登って排出される、空気、熱、煙の一方向の強力な流れのことで、これによって空気は空気口から確実に窯内に供給され、窯つけにおいて薪を焚いて生じた熱が焚き口から手間へ漏れることなく窯内に伝わり、炭材から生じた煙は逆流せずに煙突から排出されます。
 この引きの形成に大きく寄与する工程はおそらく窯つけで、このときにしっかりと薪を焚いて、大きな熱量を窯内に送ることで、しっかりと熱、空気、煙の流れを形成することで、その流れを利用して本焚きが順調に進行するのではないか、と考えました。
 今回は、乾燥、窯つけの時点でくべた薪がくすぶっていたことが本焚きまで尾を引いて、予想外に時間がかかったのではないでしょうか。

取り出し

 ともあれ、炭は炭、2日後、窯から取り出してみれば、木炭は良い焼き具合でした。

窯内の木炭

 しかし、先日の断念が、炭材の底部に未焼部分を残していました。黒くはなっていますが、まだ木に近い状態です。

 森さんは「あと1時間ほどだったかな」と言い、また「次はもっとはやくから火をつけて、練らしも試したいなあ」とも語っていました。練らしとは、炭材の上から下まですべて炭化してから、窯を封じる前に、空気口を全開にして、一気に窯内で燃焼させることで、窯内に溜まった不純なガスを排出して、木炭の質を高める作業だといいます。この窯では、硬度がいまひとつ足りないため、より引き締まった木炭にするために、練らしの工程を取り入れてみたいと言っていました。

 また次回も見学したいと思っています。

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