サルの捕獲

 能登で炭焼きしていながらも、ふとした瞬間に頭をかすめる気がかりがありました。果たして、サルは罠に掛かっただろうか、と。

 7月に入って新保に姿を現す猿の群れが活発になって、今年は畑をしていないわたしから見ても目にあまる暴れっぷりでした。集落の農家の一人も、サル対策に力を入れようと集落として檻を2基新調して、匂いのする餌がいいらしいぞと言いながら、魚の干物みたいなものを檻の中にぶら下げて、2、3日で腐ってサルもなにも人間すら容易には近づけないような悪臭だけを周囲に漂わせる失敗をしていました。餌の過ちであればわたしも負けじと失敗を重ねました。加工品は腐敗が遅いだろうと思って入れた魚肉ソーセージは、すぐにかわいて、しかも緑色やら灰色やらのカビに覆われていました。それからカボチャを買って、小さく切り分けて檻の中に吊っておきましたが、これも梅雨の湿気に犯されてすぐに腐りました。

 それから、集落のおばあさんから、収穫したが食い跡がついていたり小さすぎたりして、分けてあったジャガイモのクズをもらって、餌にすることにしました。

知恵くらべ1

 はじめに、檻への警戒を解くため、罠を仕掛けないまま、檻の内外に小さなジャガイモを散らしておきました。3、4日すると、檻の周辺の餌は消えていていました。檻の中は、入り口付近の餌だけがなくなっていて、奥の餌は手をつけられずに残されてありました。周囲と檻の入り口付近に餌を補充しておきました。

 しばらくすると、今度は檻の中全体の餌がなくなっていました。また餌を追加しました。さらに、食らいつけばワイヤーが引かれて入り口の扉が落ちるようになっている吊り餌も仕掛けました。

 しかし、サルの襲来後2、3日しても落ち扉が降りている様子が見えないので確認に行くと、吊り餌だけが残されてそれ以外の餌が綺麗になくなっていました。

知恵くらべ2

 吊り餌にさえ手を出さなければ捕まることはないと思っているであろうサルの姿を想像して、見ていろ、きっと罠に嵌めて捕らえてみせるぞと息巻いて、ふたたび罠を仕掛けました。今度は、檻の半ばの踏み板も落ち戸に連動させて、踏めばたちまち入り口の扉が落ちるように仕掛けました。そして、踏み板を通らなければ届かない奥に大きなうまそうなジャガイモを置きました。吊り餌を警戒しながらおろかにも踏み板を踏んで、入り口の封鎖に狼狽して鳴き喚くサルの姿を脳裏に描いて満足し、能登に旅立ちました。

能登から帰って

 能登から帰るとすぐに罠を見にいきました。しかし、落ち戸はあがったまま吊り餌が残っているばかりで、またしても他のジャガイモだけが綺麗に消えていました。残された吊り餌のジャガイモは風に吹かれて、回りながら揺れていました。それは、悠々と木枝にぶら下がりながらわたしを嘲笑するサルの姿に容易に化けました。
 よくよく見れば、仕掛けのバネが錆びてばかになって、踏み板を踏んでも、入り口が落ちる仕掛けが発動しないようになっていました。

 これを直しさえすれば簡単に捕まるだろうと思い、すぐにバネを買ってきて、仕掛けを直そうと試みましたが、しかし、どうにかなるだろうと太さも材質も異なるバネを買ったわたしは愚かでした。バネの引きが強すぎて、踏み板をかなり強く踏まなければ仕掛けが発動しません。これでは身軽なサルが踏んでも罠は発動しないでしょう。
 そこで、今度は撚り合わせのうちの幾条かが切れて弱っているワイヤーも取り替えてみると、今度はいい塩梅の張りで仕掛けられました。次こそは。

捕獲

 ちょうど仕掛けた翌日にサルが来て、新保周辺をうろついていました。罠自体は木枝や雑草に隠されていますが、罠の入り口が落ちているかどうかは道から覗けます。道を通るごとに罠の方に目を向けて、落ちていない入り口を見るたびに、もしやまたも失敗して、まんまと餌だけを盗られてはいまいかと不安になりました。そうして、日は暮れました。

 翌朝、サルは別の集落へ移ったらしく、檻に囚われた一匹を無惨にも見捨てて、集落から姿を消していました。檻の入り口が降りていることを確認して、近づいても、檻の周辺は周囲の山の静けさと同じ静寂が満ちていました。どうも取り逃したらしく思っていると、不意に檻の間から細い毛むくじゃらな腕が伸びて、地面を引っ掻きました。そして、こちらに気づくと逃れるように背を向けて檻にしがみつきました。成獣になるかならぬかの幼いサルでした。

 集落の農家さんに連絡を入れると、そこから役所と、地域で唯一止め刺しができる方とに報告をしました。しばらくして止め刺しに来てもらえることになりました。手持ち無沙汰に檻の中のサルを観察するでなしに、ぼうっと眺めていました。
 しきりに檻の隙間から手を伸ばしてアスファルトの地面を掻きむしるのは、土なら掘ってでも逃げようかという意気の現れでしょうか。しかし、なにかしら掴んだ小さなものを口に運んでみたりもしているのは、手すさびでしょうか。
 罠に囚われたイノシシの狂騒を見慣れていたわたしは、サルの意外なおとなしさに驚きました。サルは怯える様子はあまりなく、単に群れから置いてけぼりをくらっていじけているくらいにしか見えませんでした。

 ふしぎなことには、檻の中には大きな2つのジャガイモが残っているのに、サルは食べようともしません。そして、わたしはこの獣を極端に人間から遠い存在と思い込みすぎているのかもしれないと反省しました、というのは、この囚われの状況では誰だって目の前の飯どころではないに決まっているでしょうから。檻の中で死すべき定めの我が身もわからずただ目の前のジャガイモに食らいつくこの獣の姿を見て軽蔑したいというわたしの密かな卑しい願望が、ジャガイモが残っているこの自然な状況をかえってふしぎに思わせたのだと気がついたのでした。

 そして、もう一つ疑問に思った点がありました。周囲や檻の中の食い荒らされたジャガイモはいずれも皮はむしられ地面に捨てられていました。いままで罠に獣がかからずジャガイモだけがなくなっていたときには、皮も残されないで綺麗になくなっていたのに。
 それで、今までわたしが取り逃していた獣は、もしかするとサルではなく他の小動物ではなかったか、という疑念が生まれました。ハクビシンやらタヌキやらその他雑多な四つ足も畑を荒らしはしますが、檻をしかけて捕まえるほどに注力するような存在ではありません。サルを狙って仕掛けた罠にかかってはかえって迷惑します。どうにか、小動物には反応せず、サルが檻にはいったときにだけ発動するような塩梅で仕掛けの張りを調節することはできないか、考える必要がありそうです。

止め刺し

 止め刺しはかつては猟銃によっておこなっていましたが、近年では電気槍を突き刺して、体内に電流を流すことで止めを刺す方法が主流となっています。

 止め刺しをしてくれる方が来る前から雨が降ってきました。うまく感電させるため捕獲体を濡らす必要があったので、雨は幸いでした。サルはさきほどまでふわふわだった体毛が雨に濡れて体にひっついて、分け目から桃色の皮膚がのぞいていました。塩ビパイプの先に鉄釘を取り付けた槍を向けても、サルは鳴きわめくことも暴れることもなく、状況を理解していない様子で、さきほど同様にただ檻の角で背を向けて縮こまっています。ちいさな震えは死への恐怖であるよりむしろ雨ざらしの寒さによるのだろうと思っていると、顔だけ振り向いたサルの瞳が雨でではなく内側から濡れているような気がして、もうこいつは気づいているのかもしれないとも思いました。

 檻の隅は槍から身のかわしようのない死地でした。サルは一突きで檻に押さえつけられ、槍が体に潜りました。電流のスイッチを押すと、まるまっていた体は一直線に伸びて硬直し、微細に痙攣して数秒のちに全身が弛緩しました。槍を離してしばらくすると体は痙攣をやめました。サルの体は生きることをやめました。

 不思議と残酷だとか可哀想だとかいった感傷的な気持ちは浮かんできませんでした。なにも言葉や観念が浮かんでこないで、ただ見ているだけの時間がすぎて、気づけば一匹のサルは消えて一個の死体がありました。
 やはり自分で止め刺しをしなければならないと思いました。理由はわかりませんが。

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