炭焼き訪問
能登の炭焼き窯を訪ねました。
能登空港から山中を貫く主線を東に十数分走ると、視界は開けて、道脇に田んぼが広がり、その向こうの小山のふもとにはぽつぽつと民家が現れます。旧柳田村です。道を脇に逸れ、わずかに山を登ったところに炭窯の小屋はあります。ひどく暑い。きびしい酷夏の日差しを杉林がさえぎっていても、涼しい山風が吹き下ろしていても、炭を焼いている窯の熱気がたえず小屋から漏れています。簡単なポリ製波板の引き戸を開くと、こもっていた熱気は解放のよろこびに湧き、一気に外へ漂いでて、わたしの意気をくじこうとします。透明の壁がそそりたっているような、あるいは、空気よりも重たい気体が充満しているような、重たい空間の向こうに炭焼き窯は蟠踞していました。ちょうど本焚きの最中でした。
すでに焚き口は塞がれていました。大量の薪をくべて、燃えさかった炎が窯内の炭材に火をつけると、焚き口を封じても、窯内の炭材はわずかに残された空気口から息を吸って、自ずから燃えて、窯の上から下へと炎がおりていきます。奥の煙突から昇る煙と、夏の暑さとは違うおもたい暑さとがなければ、この窯の中でいままさに丸木が炭に変わろうとしているとはおもえないほど、窯内は静かに燃えていました。
昨冬からの断片的な訪問で、炭材の伐り出しから、窯詰め、炭材への火付けまで手伝っていました。そして今回、ちょうどその続きからでした。
本焚きまで
炭材を窯に詰めた後、炭材の手前にレンガを積んで、上部10センチほどを残して、障壁を築きます。障壁の50センチほど手前に焚き口を築き、あいだの火床に薪をくべて火を焚き、まずは窯内と、窯内の炭材を乾かせます。
湿って冷えている窯にはまだ煙の流れができてないため、一気にくべた薪はくすぶり、熱も煙もうまく窯内に流れていかずに焚き口からこぼれます。狭い小屋は一瞬で重い白煙が充満しました。やがて、火床の炎は安定して赤々と燃えはじめ、窯奥の煙突から煙が抜けだすと、窯内の流れにしたがって、火床の熱と煙はなめらかに窯へとながれるようになりました。
窯内と炭材を乾燥するための工程をダラ焚きと呼ぶのは、火量の調節が不要なこの作業はダラでもできるからだといいます。実際、2、3日を要するこの工程では、薪を焚き口いっぱいにくべては、半日ほど放っておいて、やがて全勝してわずかな熾が残るばかりとなったころに、ふたたび薪で焚き口をいっぱいにしていました。夕にくべた薪がすくなくて、翌朝、火が消えていてもかまいやしない、というくらいに鷹揚なもので、なるほどたしかにダラ焚きでした。
そうして窯内や周囲の土が温まり、窯内の炭材も乾燥して、ようやく炭材に火をつけるための窯つけがはじまります。ダラ焚きとはうってかわって、つねに焚き口についてしきりに薪をくべ、一気に盛んな炎を熾して窯の炭材に火をつけます。たえまなく投げ込む薪を火床の炎は次々に飲み込み同化して、より大きなひとつの炎になって、障壁を這い昇り、上部の隙間から窯内へ侵入します。そのため、はじめ炭材は上に火がつきます。
重力に抗うように上へ上へと燃え盛っていく炎を見慣れているせいか、狭い窯内の空間で下へ下へ降りていく炎の姿を想像すると、不思議に思われて、それで、どうもここに炭化というものの不思議もあるような気がしています。
炭材に火がついたか否かは、重要な見極めを必要とします。火がついたと判断したら薪の投下をやめて、焚き口を封鎖します。炭材に火がつけば、外からの熱を必要としないで自ずから燃えて、炎が窯内を降りていきます。このとき、火が十分につかないままに焚き口を封じれば、途中で窯内の火が消えてしまいます。いっぽうで、火がついても、いつまでも焚いていれば、やがて窯内の炭材が炭化ではなく燃焼して灰になってしまいます。
本焚き
しっかりと窯つきすれば、薪の投入をやめて、わずかな空気口だけのこして焚き口を封じても、窯内の炎は静かにゆっくりと炭材を伝うように上から下へ降りていきます。炎が降りる速度はふしぎとゆっくりで、窯の大きさによりますが、この窯では3日はかかります。そのあいだは煙の温度にも色にも匂いにも変化がありません。これまでさまざまに手間をかけてきましたが、本焚きにはいってしまうと、ただもう見ているだけしかできません。それで、炭焼き師の笹谷内さんは1日に何度も、仕事の合間をぬって、様子を見にきました。わたしは、ひまなわたしは、小屋の外に車を停めて、どんなわずかな変化も見抜こうと、窯から小屋の屋根を貫いて伸びる煙突から昇る煙を監視していました。
なるほどたしかに、なにも変化がないまま1日、2日がすぎて、これならいっそ海にでも入ってすずんでいたって一向問題ないとも思いながら、3日目の朝を迎えると、明らかに煙の質が違っていました。今までの煙は、笹谷内さんがしきりに言っていたように、黄色い煙だったことがわたしにもわかりました。そしていま私の目の前で軽やかに青空へ昇っていく煙は青みを帯びていて、ひるがえって昨夕までの煙を思い出してみると、たしかにあの煙は黄味がかっていました。3日目の煙には軽やかさも感じられて、煙の昇り方も違って、いままで煙突の先から現れてそのまま山の斜面を這うように昇っていた煙が、いまでは煙突の先から空へまっすぐたち昇っていました。
しかし、煙に変化が現れて、煙の温度が200度に近づいても、それでも思ったほどには本焚きは捗らず、窯をとめる目処がたたないままでした。やがて煙が透明に近づいて、温度が300度を超えたころを目処に窯をとめるとは聞いていても、どうしても煙はまだ青く霞んで、温度も思うようには上がりません。闇夜では煙の変化の見分けがつかないと言われ、どうしても日中の決着を願っていました。しかし笹谷内さんは、どうもこの様子では夜なべになるなと見立てていました。もどかしくもどうしようもなくただ眺めることしかできないまま、陽は傾きはじめ、そしてなにも起こることなく沈んでいきました。わたしは帰路につきました。